羽後町軽井沢周辺は、山の懐に抱かれ、茅葺き民家と谷川に向かって階段状に造られた棚田が連なっている。中でも蒐(アザミ)沢集落周辺は、日本の昔話に出てくるような懐かしさを感じる。ふるさとの原風景を訪ねる旅のモデルコースを紹介する。
モデルコース(車+徒歩)
 羽後町田代軽井沢落合上村蒐(アザミ)沢田茂ノ沢刈女木湿原旧長谷山邸仙道番楽の里(上仙道新処)鷹匠の里・上仙道桧山飯沢・鈴木家住宅
農家レストラン「そば屋彦三」
 西馬音内盆踊り会館五輪坂・熊鷹文学碑湯沢市岩崎・鹿嶋様湯沢市三関・さくらんぼ、セリ(湯沢の祭り:季節限定)小町の郷農産直売所「菜菜こまち」龍神社 目覚めの水山渓食堂・民宿「神室亭」

注意事項・・・農山漁村を歩くマナー
・農山漁村は生活の場。勝手に敷地内に入ったり、家の中を覗いたりしないこと。
・ゴミや騒音は厳禁。農作業の邪魔にならないよう注意。
・草花や生き物などは採らずに、見る、撮るだけにとどめること。
・地元の人に出会ったら、あいさつすることを忘れずに。

羽後町軽井沢周辺:茅葺民家と棚田探訪
▲写真右の道路は、羽後町の中心地から田代に至る山村基幹農道
 羽後町田代軽井沢へのアクセスは、羽後町中心部から五輪坂方向に進み、その手前左の山村基幹農道を走ると便利。田代門前を経て、軽井沢杉沢、岩瀬と二山ほど越えると軽井沢の中心部に辿り着く。
▲軽井沢に向かう途中の杉沢集落周辺・・・山間部に点在するハサ掛けの風景、ため池の美しい景観を眺めながら軽井沢の核心部へと走る。
▲軽井沢落合集落
 数軒、茅葺き民家がまとまっているので絶景ポイントの一つ。春の新緑と田植え、夏の草取り、秋の稲刈り・ハサ掛け・紅葉、雪に覆われた山里・・・四季折々、美しい水土里の風景を見せてくれる。

▽軽井沢の地名の由来
 昔は、荷物の輸送に馬背を利用したが、険しい山道になると、荷物を人の背に積み替え運搬した。その運搬夫を「軽子(かるこ)」と呼んだ。軽井沢の地名は、「かるう沢で荷物を積み替える場所」を意味している。
▲羽後町田代軽井沢周辺詳細MAP(右が北側:カシミール3Dで作成)
▲軽井沢上村集落
 舗装された道路から撮影しようとすると、電柱が邪魔になるので注意。田んぼの畦道に入って歩いて行くと、素晴らしい撮影ポイントに出会う。農山村の車道から外れた田んぼの畦道や野道、里道をのんびり歩けば、さまざまな自然や文化、田園風景を発見できる。そんな「ふるさとの原風景」を歩くことを「カントリーウォーク」と呼ぶ。
▲蒐沢(あざみざわ)の茅葺民家と棚田
 熟語の蒐田は、狩り、狩猟を意味する言葉である。田代上仙道やすぐ隣の鳥海町にもマタギ集落があった。そうした田畑の少ない山間奥地であることを考えると、山に依存した狩猟+農耕の暮らしがあったことは否定できない。そう考えると、「蒐沢」の地名こそふさわしいようにも思う。
▲蒐沢集落中心部の棚田とハサ掛けの杭 ▲勤勉な水土里の風景。まるで庭園のように美しい。
▲菜の花と古い小屋 ▲板倉。かつては、モミを貯蔵していた小屋。
▲蒐沢から田茂ノ沢に向かって右手に入ると、その高台に隠れ里のような茅葺き民家と棚田が広がっている。
▲蒐沢と最奥の村・田茂ノ沢の中間部に、等高線に沿って曲線美が美しい棚田がある。
▲軽井沢田最奥の村・茂ノ沢集落
 江戸時代の紀行家・菅江真澄は、豪雪の中、鳥海町八木山を越え、田茂ノ沢に一泊したとの記録が残っている。
秋田県自然環境保全地域:刈女木湿原
▲刈女木湿原の固有種・ガリメギイヌノヒゲ(9月)
 刈女木(ガリメギ)湿原は4つの沼からなり、古くから農業用水として利用されてきた。湿原の植物は、新種ガリメギイヌノヒゲのほか、ザゼンソウ、ミズチドリ、モウセンゴケ、トキソウ、サワギキョウ、リンドウ、トンボソウ、サワラン、ミズギクなど64種。
▲刈女木湿原、旧長谷山邸周辺詳細MAP(カシミール3Dで作成)
▲刈女木湿原入口駐車場 ▲第4の沼、この上流が核心部
 梨の木峠のトンネル手前、案内看板がある駐車場が起点。ここから4つの沼周辺の自然観察をしながら約1kmを散策する。最上流の第4の沼が刈女木湿原の核心部である。
▲刈女木湿原 ▲モウセンゴケ
 春に群生するザゼンソウにはじまり、ミツガシワの大群生、ミズギク、トキソウ、ミズチドリと次々に咲き、秋になるとサワギキョウやリンドウ、オオニガナ、ガリメキイヌノヒゲと初冬まで美しい花々が咲き誇る自然の楽園。こうした多様な植物を気軽に観察できるのが最大の特徴。
▲ザゼンソウ(4~5月) ▲ミズギク(8月) ▲ノハナショウブ(6~7月)

旧長谷山邸
▲旧長谷山邸
 旧田代村の地主・長谷山家の邸宅で、母屋は明治15年、土蔵は明治35年に建築された。床面積870平方メートル、約264坪。その邸宅を町が譲り受け、平成10年に改修整備し、現在羽後町総合交流促進施設として活用されている。
▲田代地域のシンボル「長谷山の三階建」
 子どもの頃、この巨大な建物を見れば、「千と千尋の神隠し」に出てくる巨大な「油屋」を思い出すだろう。それほど田舎では異彩を放つ伝統建築物である。
秋田県指定無形民俗文化財:仙道番楽の里(上仙道新処)
▲仙道番楽:幕を大きく広げて舞う獅子舞 ▲仙道番楽を代表する舞、「六番 鶏舞」
 一説によると、約400年前、鳥海山にこもった山伏行者が、雪が降る頃下山し、山麓の村々を疫病退散、悪魔払い、家内安全を祈って獅子舞を演じて回り、夜には、人々を集め、神楽舞を演じたものが村人に伝わったとされる。種目は、表六番、裏六番の十二幕。
▲上仙道新処「仙道番楽再興記念碑」 ▲仙道番楽の舞台、白山神社
▽仙道番楽の再興
「新処児童公園の隣には一段と大きな碑で゛番楽再興祖 武田七蔵翁・武田勇治翁・武田貞助翁゛の三人が刻まれています・・・昭和21年頃、どこの村でも流行していたのは三度笠に長ドス姿で踊る゛やくざ踊り゛と村芝居でした。・・・医師の武田保清先生が語りかけてくれました。

 ゛仙道さ番楽という立派な郷土芸能があるのに゛

 と、番楽の復興と伝承の必要性を説き薦め働きかけてくれました。・・・十二名の青年が集い、太鼓の七蔵さん、舞い方の勇治さん、笛の貞助と他に四人の舞い方師匠に頼みました。・・・練習を重ね、十数年振りで番楽を復活させ、初舞台を披露することができました。」(「仙道番楽一代記」武田憲一著)
鷹匠の里・上仙道桧山
▲鷹匠の里・桧山集落
▲最後の鷹匠・故武田宇市郎さん
 出羽山地に囲まれた豪雪地帯・羽後町上仙道桧山。ここで45人の鷹匠が生まれ育った。鷹匠は、大型のクマタカを慣らし、野ウサギやテン、タヌキなど獣類の狩りをしてきた伝統猟法。自給自足の農業を営みながら、伝統の鷹狩りを守り続けた最後の鷹匠が武田宇市郎さん(平成4年死去、77歳)である。
▲羽後町上仙道桧山集落の狩猟碑
 鷹匠として活躍した三浦親子を称え、碑に刻まれている恒吉の甥の土田林之助さんが昭和35年に建立したもの。碑に刻まれている三浦恒吉さんは「鷹の医者みたいな人」と言われた名鷹使いだった。
▲上仙道桧山集落周辺を美しく彩る山野草
 フクジュソウ、キクザキイチゲ、カタクリなど早春の草花が咲き乱れ美しい
国指定重要文化財・鈴木家住宅(羽後町飯沢)
 羽後町飯沢の鈴木家住宅は、矢島の土田家住宅と並び県内最古の住宅で、建築年代は1650年~1700年頃。茅葺屋根の中門造りは、日本海側の豪雪地帯に多い。鈴木家は、源義経の家臣の末裔で、奥州平泉から1189年にこの地に落ちのび、定住したという。本家は紀州の現海南市。
▲冬の鈴木家住宅
 山間奥地の豪雪地帯に、県内最古の住宅が存在すること自体が不思議である。丁寧かつ綺麗な雪囲い、屋根の雪下ろし、除雪等、その苦労が偲ばれる。

鈴木家謹製「米」
 羽後町産あきたこまちとみなべ町産紀州備長炭のコラボ新商品。パッケージは、江草天仁先生の二大ご当地キャラクターが描かれている。
熊鷹文学碑(羽後町五輪坂)
 農民鷹匠・武田宇市郎さんをモデルにした故・藤原審爾先生の小説「熊鷹・青空の美しき狩人」の一文を刻んだ熊鷹文学碑。その碑には、「草も木も鳥も魚も/人もけものも虫けらも/もとは一つなり/みな地球の子」と刻まれている。
国指定重要無形民俗文化財「西馬音内盆踊り」
 毎年、8月16日~18日、羽後町西馬音内本町通りで開催。かがり火を囲んだ細長い一つの輪をつくり、幻想的な彦三頭巾とあでやかな端縫い衣装の踊り手たちが、にぎやかで勇ましく野性的なお囃子にあわせて、夕方から夜更けまで踊り続ける。 踊りのプログラムは「音頭(おんど)」と「願化(がんけ)」の二種類。
▼右:彦三頭巾・・・黒い覆面をかぶった彦三頭巾は、踊り手の表情がまったく見えず、亡者を連想させ幻想的な雰囲気をかもしだしている。彦三頭巾をかぶる若い女の子たちは、浴衣を着用する。西馬音内では、手絞り藍染めの変化に富んだ個性的な浴衣を多く見ることができる。

▼左:端縫い衣装・・・4~5種類の絹生地をあわせて端縫った衣装で、女性が多く用いる。この場合は彦三頭巾ではなく、編み笠をかぶり、帯の結び方は御殿女中風な形になる。

西馬音内盆踊り会館・・・定期的に観覧できる
農家レストラン「そば屋彦三」
▲羽後町そばの収穫作業 ▲羽後町そば研究会で栽培したそば「そば屋彦三」
 羽後町は、そば屋の老舗が多く、その美味さは県内トップ。(有)馬音農場は、「羽後町そば研究会」から、そばに関する全作業(播種~製粉)を受託している。栽培面積は約190haと広大。収穫されたそばは、そば粉に加工し、農家レストラン「そば屋彦三」で味わうことができる。羽後町に来たら、まずは「そば屋彦三」のそばを食べることを忘れずに!
稲作文化の傑作・湯沢市岩崎の鹿嶋様
▲杉の巨木を背に仁王立ちした鹿嶋様(湯沢市岩崎末広町)
 鹿嶋様は、凄まじい形相をした木彫りの面と高さ4mもの巨大なワラ人形で、面と骨組み以外は全て稲ワラで作られている。疫病退散、家内安全、五穀豊穣を祈る伝統行事で、「米の国・秋田」を代表する稲作文化の一つ。村の守り神として、村を見下ろす位置に祀られている。湯沢市岩崎の鹿嶋様は、三つの町内(末広町、栄町、緑町)で行われている。
▲緑町の鹿嶋様
 稲ワラで作られた鹿嶋様は、雨露に濡れると次第に腐ってくる。そこで、春と秋の二回化粧直しを行っている。この化粧直しを繰り返すことによって技術を伝承している。
湯沢市三関:さくらんぼ、初冬の風物詩・セリ
▼さくらんぼ(湯沢市三関
 出荷は、6月下旬から7月中旬頃。キラキラ輝く美しい姿は「赤い宝石」「初夏のルビー」などと呼ばれている。
 三関のさくらんぼは、ほとんどが「佐藤錦」。甘みが強く、酸味のある味わいは最も美味しく人気が高い。「紅秋峰」は、7月10日前後の約5日間と出荷期間が短いが、糖度が高く甘い品種で、かつ大粒の実も硬く、日持ちするのが特徴。
▲初冬の風物詩・三関のセリ(湯沢市三関)
 三関のセリは、豊富な清流に恵まれた山麓の扇状地で栽培されている。セリは、正月に食べる七草粥の七草のひとつに数えられているが、9月から翌年3月までの長期間にわたり栽培されている。

 湯沢市産のセリはシャキシャキとした歯ごたえがあり、根の部分が白く長いのが特徴。古文書によると、元禄年間に関口村山麓に自生していたセリを食していたという記録があり、古くから栽培されていた。最近はハウス栽培も盛んで、高品質な「三関セリ」としてブランド化を図っている。
▲秋田では、白く太い根っこを食べる
 三関のセリの根は、真っ白で太く長いのが特徴。この根を切り取って捨てる人もいるが、モッタイナイ!・・・この根が一番美味しい時期は、12月~1月頃だという。セリの美味しい食べ方は、一般的に鍋料理だが、決して煮込んではいけない。「しゃぶしゃぶ」のように鍋の中にくぐらせてから食べると美味しい。
湯沢の祭り:犬っこまつり、七夕絵どうろうまつり
▲犬っこまつり・・・2月の第2土曜日、日曜日
 約400年もの長い間続いている民俗行事。昔、白昼堂々と人家を襲う大盗賊がいたが、湯沢の殿様がこれら一味を退治し、再びこのような悪党が現れないようにと、米の粉で小さな犬っこや鶴亀を作らせ、旧小正月の晩に、これを家の入口や窓々にお供えして祈念したのが始まりとされている。
▲七夕絵どうろうまつり・・・8月5日~7日
 佐竹南家の京都出身の姫君が、京への郷愁を五色の短冊に託し、青竹に飾りつけたのが始まりとされる。約300年の歴史があり、浮世絵や美人画が描かれた大小数百の絵どうろうが、夕闇の夜空を艶やかに彩る。
小町の郷農産直売所「菜菜こまち」
 国道13号線沿いの道の駅「小町の郷」の南側に農産物直売所「菜菜(なな)こまち」がある。写真は、2005年オープン直前の直売所の様子。以来、売上を伸ばし、2009年に1億円を突破した。雄勝地域を中心に、市内の農家63人が出荷。県内のほか、山形県や宮城県など近県からのリピーター客も多いのが特徴。
龍神社:目覚めの水(湯沢市秋の宮)
 応仁の昔から神室道中及び有屋峠を越える金山道中の力添えの水として人々に長く愛飲されてきたのが「目覚めの水」。秋の宮地区は、雄物川の源流部に位置し、一帯は、名水の誉れが高い。この場所からほどなく、山渓食堂・民宿「神室亭」がある。
山渓食堂・民宿「神室亭」(湯沢市秋の宮)
▲神室亭のイワナ&ヤマメ
 イワナ・ヤマメ、山菜、きのこが好きな方には、一押しのスポット。「山渓食堂」の名称どおり、山と渓流にこだわった農家レストラン&民宿&釣堀&自然体験もできる。神室山の清冽な水で育てられたイワナ、ヤマメはもちろんのこと、四季折々の山の幸、天然の山菜・きのこも見逃せない魅力。
▲釣りキチ三平の作者・矢口高雄先生とのツーショット「岩魚の夢を語る」
 主人の由利隆さんは、山遊びの達人・・・渓流釣り、山菜採り、きのこ採り、川遊びに加え、登山のガイドもこなすマルチなグリーン・ツーリズムインストラクター。
▲イワナ・ヤマメの釣堀・・・釣った魚をその場で味わえる。
▲昼食の一例・・・ヤマメの塩焼き、イワナの刺身、山菜のおひたし、天ぷら、ガッコ、味噌汁

▽「神室亭」位置図

神室山のイワナ うまいもんドットコム
秋田県産の「神室亭のイワナ・ヤマメ」お取り寄せ ご当地ドットコム
秋田県産の山菜「神室亭の旬の山菜」お取り寄せ ご当地ドットコム
みちのくゆーとぴあ情報2005-田舎暮らしその2(山渓食堂 神室亭)