「サエの神と鳥追い」~横岡集落の小正月行事~

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 秋田県内には現在も小正月行事を「農家の年とり」と考え、大人と子どもが一緒になり、毎年欠かさず執り行なっている地域があります。
 その中のひとつ、にかほ市象潟町の「横岡」と「大森」の2地区(旧上郷村)に古くから伝わる小正月行事は、子孫繁栄の象徴である「サエの神(才の神と同義語)」行事と、豊作祈願である「鳥追い」の行事が一緒に執り行なわれるという大変珍しいもので、平成10年に国の重要無形民族文化財に指定されました。

 また同地域は集落型G・Tモデル事業を計画・実践している地域でもあり、今後も関連行事への参画が期待されています。

 
2011年1月15日、横岡集落で行われた小正月行事の模様を、すでに集落内で行われた「雪中田植え」の様子と併せてご覧ください。
 

●横岡サエの神保存会・小正月行事(1月2日~16日)

2日…ノサ作りと奉納
 
各家庭において、ワラをすぐり束ね、男の数だけノサ(ヌサとも言う)を作り、茶の間の囲炉裏から見て歳徳(アキの方)(※)の方角の敷地内に吊るし、家族の健康、繁栄を祈願します。
 くくりつけるのは、ユズリ葉・紙シデ・干柿・糸・小魚・炭・昆布が一般的。
(※)
アキの方(アキノカタ=明の方。歳徳神の方角、毎年変わる恵方のこと)

11日…サエの神の小屋建て

 正月8日頃、各家から集めて周った稲わら・ノサを、サエの神の小屋建てに用いる「ホケ伐り」を、各講中にて行います(「大下(下村)・中ノ下・殿村中屋敷・寺地」の4箇所)
 11日の午前、サエの神の近くにワラ小屋(通称:セノカミ小屋)を建てます。入り口の上部には、各講中の家庭で樹木に掛けておいたノサを飾り、両側には、ハネノキ(タニウツギ)の枝を立てます。

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ワラ小屋の内部…中にワラを敷き詰め、最奥部に古い木製のサエの神を祀ります。
 タラの木を2つに割って「蘇民将来之子孫門戸也」または「十二月吉日」と書いたゴンギョウを門柳と一緒に門に立てます。
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12~14日…かつては子どもたちが小屋に入って餅を焼いて食べたり、甘酒を飲んだり、サエの神の唄を歌ったりして過ごしたのですが、今は子どもの数が少なくなったり、学校が始まったりと環境が違って来て入ることがなくなりました。

15日…サエの神の小屋焼き

 早朝、サエの神餅を持ってサエの神に参拝後、神前で鉈を用いて年齢分の数だけ削って持ち帰ります(昔は、1年間の願い事を祈るため、12個に削る人もいたといいます)。
 朝8時、サエの神の氏神を祀っている「太助」(※)がわらに火をつけ、その一番炎を合図に、4講中が同時に火をつけます。最後まで燃え残った組が豊作になると考えられており、昔は子どもたちがこぞって他の講中のサエの神を燃やそうと囃したてたそうですが、現在は大人のみで行われています。
(※)「太助(屋号)」は、横岡草分の家ともいわれる旧家で、サエの神行事はここから生まれたと考えられています。

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 かつては、煙がなびく方向が「東南なら豊作」、「北西では凶作」などと占い、火のついた小屋の材料を持ち帰り、自宅の囲炉裏で燃やし、火災除けにするといったことも行われていました。

15日…雪中田植え

 豆から4・5本と稲わらを束ね、これを1株として12株作り、これを明の方に植えて、豊作を願います。

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(上記写真資料提供:横岡集落自治会・斎藤安昭氏)

15日…鳥追い行事

 
練習風景…集落の小学生と中学生たちによる「サエの神の唄」練習風景。

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 午後2時頃、夕食持参で横岡自治会館に参集。集落の大人から、サエの神の唄を聞きます。

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 すでに卒業した高校生も助っ人として参加しています。

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 子どもの多かった時代は、4講中それぞれから、男子の代表が数人ずつ集うというのが本来の形でした。
 子どもが少ない現在では、講中の砦をはらい、年齢制限もなくしました。
 しかし、今年も子どもたち(中学生2名、小学生10名の計13名)が一丸となり、地域の伝統行事の灯を絶やすまいと、元気に集結しました!

1番鳥…小屋焼きを行った集落内4箇所のサエの神を巡ります。

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 いざ、参らん!
 1番鳥・2番鳥のいずれも唄を歌いながら、子供頭(中学生2名による)太鼓を先頭に、行列をつくって巡ります。

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 大人達は、ただ見守るのみ。かつては大人は参加せず、子どもたちが主体となって行うものでした。年上の子が、自分より年下の子の面倒を見るというものだったそうです。

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 中屋敷(なかやしき)講中のサエの神。「鳥追いの唄」を歌いながら、小屋焼きをした周りを3周します。
 ●「鳥追いの唄」…朝鳥ホイホイ、夜鳥ホイホイ
          これはどごの鳥追いだー、長者殿の鳥追いだー
          一にぎ鳥は、四十がらにぐす、
          頭はって、塩つけて、塩俵さぶちこんで
          佐渡島さ、ぼてやーれ ぼてやーれ
          佐渡島つけたならば、おに(おにゃ)島さ、
          ぼてやーれ ぼてやーれ
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 寺地(てらぢ)講中のサエの神。こちらは石造りの鳥居が祀ってあります。
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 中ノ下(なかのしも)講中のサエの神は、雪をかき分けて、田んぼに入ります。
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 雪で足を取られてしまった小さな子を、身内でなくとも年上の子どもが抱き起こしています。
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 時には「ちゃんと声出して!」と発破をかけながらも、常に後方を気にし、周りに注意を向けながら、しっかりとした足取りで先導をする中学生(写真左、手前の二人)。
 上記でも述べたように、昔は中学生ともなると年下の面倒を一手に引き受ける「大人の代わり」を担っていました。
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 最後は、通称下村(旧称は大下「おおのしも」と言いました)。

【2番鳥】2番鳥…忌み関係(※)を除いた約80件の家々を、餅を頂きながら訪ねます。
(※)忌み関係…昨年の年越しである1月16日から、今年の15日までの間、不幸があった家など)

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 写真は、殿村の屋号「三太郎」(現当主:佐藤好満さん)。

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 山の神を祀る祠が、敷地内(庭)に建立されていました。

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 子どもたちが周って来る時間帯に合わせ、各家々の玄関が温かく灯されます。

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 「ちょっと、今年は周るスピードが遅いな」と、心配する集落のおばあちゃん。

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 大人と子どもの生活に根付いた会話が、ここでは普通に交わされています。

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 夜だと分かりづらいですが、辺り一面銀世界。電灯(街灯)はなくとも伝統はある!

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 「おばあちゃん、こんなにもらったよ、袋さ入れてけれ」。
 孫が心配で一緒について周ったおばあちゃんは、目を細めて孫の成長を見守っていました。
 厳しく指導しながらも、こうして温かく見守る大人が傍に居てこそ、集落の伝統を引き継いでいく子どもたちが育っていくのではないでしょうか。

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 斎藤均さんの宅の餅は、今年の干支、兎の形をかたどったものでした。

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 餅は、各家でそれぞれついたものを用意するのです。

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 もらった餅やミカンなどを、大事にソリに積みこみます。もうパンパンです。

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 「太鼓、すげぇ重い。まだ4時間も歩くのか…」と言いつつも、へこたれない。

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 初嫁1件目。屋号「齋藤村平(むらゑ)」のお宅です。晴れ着を着て、お出迎え。

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 初嫁2件目。屋号「齋藤作左右エ門(さぐぜん)」のお宅です。座敷側でお出迎え。

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 屋号「角右エ門(かくえん)」(現当主:齋藤直太郎さん)の稲荷様です。
 横岡では、今でも火防(かぼう)の神として稲荷を祀っている家が多いです。

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 にこやかに餅を手渡す、佐藤輝一さんです。
 まちむら交流機構が主催の「グリーン・ツーリズムインストラクター研修会」で、斎藤均さんとともにお世話になりました!ありがとうございます。

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 (写真上)よどぎみが(男の子ではないのに)いただいた、お餅の数々。手前兎は、均さんの干支餅、左上は鳥海山日立舞保存会長の萬蔵さんから、中央は輝一さんから、右は「太助」さんからの、それぞれ縁起の良いお餅です。

 (写真右)厳寒時、長時間にわたって行われた2番鳥が終了し、横岡自治会館に戻った子ども達には、まんべんなく餅やお菓子などが分配されました。

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【3番鳥】小学生は午後9時過ぎに解散し、16日の夜明け(朝5時頃)に回る3番鳥追いは、中学生のみで執り行なわれました。

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 中学生のお兄さん達として、立派に先導を務めあげました

 3番鳥は、中学生のお二人です。実は、1番鳥の前にそれぞれ、気迫のこもった抱負を述べてくれていました。

 2年生の齋藤一平君(写真右)「朝は早くて辛いけれど、地域の行事はつなげなければならないと思う。樹君と二人で頑張ります」

 3年生の齋藤樹君(写真左)「昨年は3年生が二人いたので、太鼓は今年が初めてです。緊張しますが、拍子を間違えずに声も出していきたいです。自分は、今回が参加できる最後の年なので、精一杯やり遂げたいと思います!」

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  鳥海山日立舞、横岡番楽保存会会長・齋藤万蔵さんの曾孫さん(2歳)。
 この時の気温、マイナス10℃以下。
 寒いうえ深夜に及んだ行事にもめげず、幼いながらも一生懸命、皆の跡をついて周りました。

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 現自治会長の斎藤俊之さん(左)と、自治会副会長の村上公雄(右)さん。
 公雄さんは20年以上にもわたり、先頭に立って横岡集落の道先案内をしてくれています。大変お世話になりました。
 「横岡は、現在でも冠婚葬祭を全て屋号で行う(※)など、本家・分家のつながりが強いよ」とのお言葉どおり、たった一晩集落を巡っただけでも、集落や各家々ならではの特色を垣間見ることができました。

(※)詳しくは2010年9月、秋田県農林部農山村振興課が主催した日帰りモニターツアー
「あきた農山村・旬を感じる鳥海山麓・千年の時を超える農村と受け継がれてきた伝統芸能~旬を味わう農家・漁家レストランを訪ねて~」に関するよどぎみの記事も、合わせてご覧ください。

 横岡集落の小正月行事が、今年も無事に引き継がれました。
 とはいえ、集落の子どもの数は年々減少し、後継者不足のため存続が危ぶまれているのが現状です。
 
子どもの多かった時代は、小学生といえど低学年は参加することができませんでしたが、昨今の少子化で、学生以下でも歩ける人は皆参加、それでも子どもの人数が足りないのです。
 地域の伝統行事の灯を絶やすことなく存続していくには、どうしたら良いのでしょうか。
 かつてのように地域の活気を揚げていくことは、容易ではありません
 打開策は集落に住まう人々に与えられた課題であり、
昔で言うところの「部外者」、つまり部落外の人間が行事そのものに手を入れるというわけにはいきません。
 しかし
私たち第三者であっても、集落の伝統に寄り添うことは可能だと思います。
 見聞きした事を伝え合い、記録として形に残していく中で、地域の人々との共働作業・連携・交流が生まれます。
 
やがてそれらが次の世代に確実に繋がり、後世に伝えていくことための足がかりとなるよう願いつつ。


県央地区現地特派員 よどぎみ