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◆農山村に滞在し、農村の暮らしと文化や歴史・食をゆっくり時間をかけて身体で感じ、地域の人の温もりを感じてもらいたい。

 今回は平鹿地域、特に平鹿西部の旧雄物川町と旧大森町にスポットを当て、そこにある暮らし・文化・歴史・食の情報をお届けします。

 内容はフリ-プランです。このペ-ジを見たみなさんが、この中から気に入ったものを選択し、自分色のグリ-ン・ツ-リズムコ-スを作って、ゆっくり時間をかけて各地を巡ってみてください。

 

 

◆雄物川町(おものがわまち)は、秋田県の東南部にあった町。

  2005年10月1日、市町村合併により横手市雄物川町となりました。

 

木戸五郎兵衛村

◆写真は旧雄物川町沼館の雄物川中央公園内にある『雄物川民家苑木戸五郎兵衛村』。

 江戸~明治時代の茅葺き民家4棟(市指定有形文化財)が一カ所に移築、復元されており、昔の集落の様子が再現されていて往時の面影を伝えてくれます。

 民家の中には昔の農具や生活用品など様々なものが置いてあり、当時の生活の様子がとてもよくわかります。また、中にある農具などに触れることもできます。

 雄物川民家苑で昔の暮らしや遊びを体験しながら、300年の時を経た、温もりの空間に浸ってみてください。(各民家は結婚式・茶会・各種行事・会議や総合学習等に利用ができ、多人数の場合には、旧佐藤家・旧黒石家がおすすめです。)

旧寺田家(63.7坪)

■建築年 明治13年

■構  造 木造一部二階

       直屋(すごや)

旧寺田家 囲炉裏

旧佐藤家(74.0坪)

■建築年 明治2年

■構  造 木造平屋

       中門造り

旧佐藤家 居間

旧黒石家(81.2坪)

■建築年 江戸時代末期

■構  造 木造一部二階

       中門造り

旧近野家(39.7坪)

■建築年 江戸時代中期

■構  造 木造平屋

       曲屋(まがりや)

◆木戸五郎兵衛村がある雄物川中央公園内の遊具場は休日を問わず常にこどもたちで賑わっています。

 その公園内には、木戸五郎兵衛村と隣接して『木戸五郎兵衛稲荷神社』があります。御利益は『五穀豊穣・挑戦成就』だそうです。

 

沼館・今宿御利益通り 

◆この木戸五郎兵衛稲荷神社の近くにはたくさんの神社・仏閣があり『沼館・今宿御利益通り』という通りがあります。

 この通りの沿線には、①沼館八幡神社(八幡納豆発祥の地、御利益:開運・災難除け)②蔵光院(後三年合戦古戦場、御利益:五穀豊穣・諸願成就)③崇念寺(元巨人軍300勝投手ヴィクトル・スタルヒンの墓、御利益:必勝祈願・成就祈願)④今宿神明社(伊勢皇大神宮の分社)⑤首塚神社(後三年役での戦死者が葬られている、御利益:学業の神・頭の諸病)⑥市神様(商店街を守護するシダレヤナギの大樹=市神の柳、御利益:商売繁盛・縁結び)⑦蔵伝寺(市川団之丞(※後述の岡本新内創設者)の碑、御利益:役者・芸の向上)の神社仏閣があり、まさしく『御利益通り』そのものです。このご利益通りは商店街通りにもなっていますので、ゆっくり時間をかけながら徒歩で神社仏閣巡りと商店街での買い物散策はいかがでしょうか!?

◆沼館・今宿御利益通りマップ

木戸五郎兵衛稲荷神社

  

  

  

◆別名を五郎兵衛稲荷。祭神は倉稲魂尊。

 創建年代は詳かでないですが、宝暦4年(1754)社殿を造営したことはわかっていて、現在の社殿は大正8年に再建されたものです。

 社名の由来については、江戸時代の紀行家ある菅江真澄が『雪の出羽路』において、①後三年合戦(1083~87)における沼柵の「一の『木戸』(柵戸)」があったところと伝わるため。②『木戸五郎兵衛某』という人物の館の中に稲荷神社を祀っため。という2つの説を紹介しています。

 

◆また、同社の縁起によると、同社の神霊が人間の姿に身を変えて上洛した際に、宿場で同宿した病んだ旅人に霊薬と路銀を与え、「奥州仙北の沼館の住人木戸五郎兵衛」と名乗って立ち去り、旅人は回復後に礼を述べるために沼館まで訪ねてきたが、誰もその人物を知らず、旅人は、その人物が京都で伏見稲荷神社(全国の稲荷神社の総本社)に参拝すると話していたことを思い出し、稲荷神社の神霊ではないかと考え、当社に参拝したところ、その姿を拝することができたそうです。

 旅人は神徳の広大無辺を感じ、持参の金子を寄進し、堂宇を修復して立ち去ったといいます。このことから、当社は失せ物、盗難に霊験があるとされてきました。

 

◆旧暦2月の最初の午の日に行なわれる初午では、職場や集落単位の男衆が威勢よく梵天や恵比寿俵を担いで町内を練り歩き、その後、商売繁盛や五穀豊穣を願ってこの神社に奉納します。

横手市指定無形民俗文化財『岡本新内』

◆明治の初めから昭和初期にかけて秋田県内に広く流行した『岡本新内』は、江戸の人「市川団之丞(※前述の御利益通り⑦蔵伝寺)」が安政の頃、平鹿郡今宿村(現横手市雄物川町今宿)で創作したものと伝えられています。

 

◆『岡本新内』はその後、雄物川筋の県南部を中心に全県各地に普及し、明治から大正期にけて「岡本っこ」として愛唱され、その土地土地で独自の個性を帯びながら発達しましたが、細な技巧と艶麗な曲節は時代と共に忘れられてしまい、わずかに横手や秋田の花柳界と、られた一部の愛好家の間で唄われているにすぎなくなってしまいました。しかし、この間におて横手の一寸平師こと柿崎シヨさんが在来の『岡本新内』に独創を加えて、『岡本新内』の名を全国的に高めました。

 

◆雄物川町の『岡本新内』は、2代目団之丞(三浦利七さん・故人)や市川三代次(佐藤儀助さ・故人)の流れを汲む、佐藤清七(故人)さん、江戸ハルエ(故人)さん、藤原トクエさん、そして清七さんの息子・洋治(故人)さんらが、初代団之丞以来の正調を受け継ぎ、保存伝承し現在に至っているそうです。

 

◆雄物川町の『岡本新内』は、当初『岡本新内保存会』によって継承されてきました。しかし、同会会員の高齢化に伴い、活動が次第に先細りになってきたことを危惧した関係者が、当時の町教育委員会に働きかけ、中学生を中心とした『岡本新内伝承会』を設立し、後世に伝えていこうということになったそうです。

 『岡本新内伝承会』は、平成9年10月に会員13名(生徒6名、一般7名)でスタートし、保存会会員からまず踊りの手ほどきを受け、翌10年6月には三味線の部を結成し、現在、10代から60代の会員22名が県内のイベント等に出演するなど多くの活動に取り組んでいます。

 

二井山湯殿山神社・・・二井山神楽・二井山裸参り

 

◆雄物川町二井山地区にある二井山湯殿山神社。(新光山慈眼院)

 

◆出羽三山の湯殿山行人派に属する修験道寺院で、1615~1623年(元和年間)に創建された と伝えられています。

 当初は『新光山慈眼院』と称していましたが、明治の始めの神仏分離令によって『湯殿山神社』になったそうです。

   

◆『二井山神楽(山伏神楽)』

 8月13日お盆の時期に行われる、この集落独特の伝統芸能。

(注)平成22年度の開催はないので注意してください。

 

◆雄物川町二井山地区にある湯殿山神社で、300年以上前から伝わる二井山神楽(山伏神楽)が奉納されます。

 神楽は、悪魔払いと悪病退散を祈る勇壮な「獅子舞」、子どもたちが踊るかわいい「槍舞」と女装した男性が踊る「おかめ踊り」、ユーモラスな言葉のやりとりや滑稽な身振りで楽しませてくれる「萬歳」、「幸(さい)とり舞」の五段で構成され、太鼓と笛の音に合わせて次々と披露されます。

 五穀豊穣と商売繁盛を祈願する市指定の無形文財です。

 里帰りしている人も、これを見ると二井山に来てよかったと思うそうです。

   

◆『二井山裸参り』

 1月7日夜に行われる、山伏信仰の修験道場として400年以上前から続けられている奇習、伝統行事。

 

◆お参りに来た人々が百匁ローソクとお初穂を神前に奉納し、家内安全・無病息災を祈願し、特に信心深い人は腰にしめ縄を巻き、凍えるような寒さの中、水をかぶって身を清めるそうです。

 年々、裸参りをする男衆が減ってきており、他の集落の方でも希望者がいれば受け入れをしているそうです。

 なお、お参りに訪れた人々には、精進料理や神社のイチョウの実の入った豆腐汁などの振る舞いもあるとかないとか。。。

 

《米》

《大豆》

《スイカ》

◆肥沃な耕地に恵まれ、内陸の盆地特有の風土が良質な米や大豆などの豊かな恵みをもたらす平鹿。

 平鹿には、『米』と『大豆』が伝える郷土の味わいがあります。

 そして、雪深い土地柄が、長い冬に備えての食料保存の知恵も育んできました。先人の知恵と工夫がたくさん詰まった平鹿特有の加工食文化も魅力の一つです。

 

◆雄物川町はスイカの名産地でもあり、古くから各家庭に伝わるスイカを煮詰めた『スイカ糖』は利尿効果が高く、その効果を知る人は遠方から買い求めに来たそうです。

◆すいか糖 

◆利尿効果が高いスイカを煮詰めて作った『粋果の雫』。

◆干し餅 

◆農耕地ならではのおや『干し餅』。盆地特有の風土が育んだ保存食。 

◆寒天

◆こちらも農耕地ならではおやつ『寒天料理』。

◆こざき練り 

◆米を使った伝統食『こざき練り』を現代風にアレンジしてスイカ糖などで味付けしたのが『恋咲(こざき)』です。

農産物直売所・・・ほほえみ直売所・わくわくハウス                                                                

◆雄物川町には2件の直売所があります。

   

ほほえみ直売所

★春は山菜、夏はスイカと新鮮野菜、秋は果物、冬は越冬野菜。四季を感じることが出来る直売所。

 すいか糖や野菜ケーキ、漬物など加工品も充実しています。

 温泉施設に隣接しているので、ゆっくり温泉につり、お茶菓子は直売所の加工品、夕飯の準備は売所の新鮮野菜っ!というのがツウらしい???

わくわくハウス

★5月から11月までの期間限定の開店。朝8時、お店の前に人が集まってワイワイ会話をしながら開店を待つ光景が。。。現在の井戸端的スポットらしいです。

 学校給食へ地場産農産物として食材の提供をしていて、新鮮野菜がウリなので、とにかく朝早くが狙い目です!!!

 

 

 

 

◆進行方向:大森→羽後町方面。

 

◆出羽グリ-ン・ロ-ドを車で走っていると、不自然な直角カ-ブが・・・・

◆県道48号線の古くて狭いトンネル。

 鉄道時代のトンネルを再利用。

 

◆県道48号線(横手東由利線)はなんとも不思議な道路です。。。我々の業界では、知る人ぞ知る廃線跡を利用した道路です。マップ・写真・文章での表現でも、いまいち位置関係が分かりづらいかもしれませんが・・・)

 

◆旧大森町から羽後町方面へ出羽グリ-ン・ロ-ド(県道164号線(二井山大森線)との供用区間路線)を進んで行くと、線形が直角に不自然に曲がっている箇所があります。この直角に曲がっている箇所は、カ-ナビや地図には直進できる県道48号線が載っているのですが、実際は廃トンネルで不通なため直角に曲がっているのです。そして直角のカ-ブを過ぎてから右側に『脇道の入り口』があるのですが、その道は地図にない通れる道なのです。その道を進んで行と、廃トンネルの向こう側の県道48号線の続きの道に合流します。合流後の道は幅員がく、トンネルも古くて、車が対面通行できない幅です。トンネルはかつての横荘線(※を参照)のものだとか。。。。

 とにかく、廃トンネルの向こう側の県道はなんとも言えない雰囲気を醸し出す、廃線跡を利用した廃です。

 興味のある方は、是非一度、探検気分でプチドライブをしてみてください!!

 

  ※羽後交通横荘線は、大正時代に「釜石~横手~本荘」間を結ぶ『陸羽横断鉄道構想』で建設が始まったのですが、昭和恐慌や戦争、水害などの度重なる天災によって、結局「横手駅~老方駅(旧東由利町)」までしか開通できず、その後、「二井山(旧雄物川町)~老方」間が廃止、「館合(旧東由利町)~二井山」間が廃止、「沼館(旧雄物川町)~館合」間が廃止。そして、昭和46年、最後に残った「横手~沼館」間が廃止となって横荘線は全線廃止となってしまいました。

 県道48号線は、この横荘線の線路跡(旧大森町八沢木~老方の手前付近まで)を一部再利用しています。

 ちなみに、現在、由利本荘市の『羽後本荘~矢島』を結んでいる由利高原鉄道鳥海山ろく線のうち『羽後本荘~前郷』間は、横荘鉄道西線として建設され、本来は横荘線(東線)「老方駅」と連結されるはずだったとのこと。。。壮大な構想だったんですね。ロマンを感じてしまいます!!

 

◆以下の写真は、この廃線・廃道の県道48号線沿線にある雄物川町字二井山新宮という集落の写真です。

◆誰もいないだろうと思った

山奥に・・・まるでガ-デニン

グの様に綺麗に手入れさ

た棚田があります。

◆以前、ここの集落に住ん

いた方が、毎朝晩移住先から

棚田まで通ってきて農地を守

ています。山を下りたが田

畑を守るため、通い農をしてい

るのです。

◆県道から見上げた沢沿い

に2軒の家(小屋?)がありま

す。ここが、今は誰も住んで

いない雄物川町字二井山の

新宮集落です。

 

 

◆さぁ次は、地図に従って雄物川地区から大森地区へ向かってみましょう!!

 

 

  

◆大森町(おおもりまち)もまた、2005年10月1日に市町村合併により横手市大森町となりました。

 

国重要無形民俗文化財『保呂羽山の霜月神楽』

◆保呂羽山波宇志別神社神楽殿。

 

◆太い円柱・舟肘木などの形式から室町時代後期の建築とされ、母屋の前後に庇を延ばす両流造りは東北唯一の貴重な建築物だそうです。昭和55年1月26日に国の重要文化財に指定されています。

 平成2年10月から平成5年3月にかけての大修理を経て、中世往時の姿を今に伝えており、毎年5月8日の例祭では、巫女舞の神楽を行っています。

   

◆ほろわの里資料館

 

◆国指定重要無形民俗文化財「保呂羽山の霜月神楽」と、国指定重要文化財「波宇志別神社神楽殿」を大修理した際の資料がそろえられています。

 向かいには、杉林に囲まれた小公園と神楽殿(※前述の保呂羽山波宇志別神社神楽殿)があり、涼を求めて古代へ思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

◆資料館内に展示されている『国重要無形民俗文化財『霜月神楽』の衣装をまとった人形。

 

◆『霜月神楽』は、保呂羽山波宇志別神社に伝わる神事で、1200年以上もの歴史があるといわれています。純神道の湯立神楽としてはわが国最古のものだそうです。

 

 

塚須沢の棚田と八沢木獅子舞

◆大森町八沢木にある塚須沢集落の棚田。

 

◆一般的に中山間地農業は傾斜地という地形条件から条件不利地と言われますが、ここ塚須沢集落の棚田は手入れがいきとどいていて、美しい棚田風景が広がっています。

 農業を営む大変さは平場に比べてあると思いますが、先祖伝来のこの地を守り、後世に伝えたいという思いが今もこの地で田んぼを作る原動力なのではないでしょうか。

 集落の方々はいつも温かく迎え入れてくれます。この塚須沢の棚田を散策しながら、人の温もりに触れてみてください。

 

◆お盆の行事として伝承され、300年の伝統を持つ『八沢木獅子舞』。(県無形民俗文化財)

 

◆『八沢木獅子舞』は、またの名を『本木神楽』と言って、大森町八沢木 本木地区(※前述の塚須沢集落と同じ大字の「八沢木」ですが、沢違いの地区。)に古くから伝わる芸能です。

 この本木地区を切り開いた菊地家は、系図によると伊勢平氏だそうで、この伊勢平氏が戦いに敗れ、そのはけ口を伊勢の獅子舞神楽に求めたのではないかと言われています。(よって、約300年以前に、この神楽を期として長い間に作り出したのが、本木神楽であると言われています。)

 この『八沢木獅子舞』は、悪疫退散と豊作祈願のために行われており、一時期途絶えてしまいましたが、平成13年から前のメンバー3名と新しいメンバー13名を加え、復活することができました。そして、それが今この地区の小学校児童にまで脈々と受け継がれています。

 

大森ワイン・八杯汁・病焼き

 

 

 

◆写真は大森町のぶどう棚。収穫直前のワイン用ぶどうです。

 

◆旧大森町と言えば、横手市の中でも「ワイン用ぶどう」の産地として名を上げていますが、ワイン用のぶどう生産のほか、米作りや野菜作りも盛んで様々な食文化があります。

◆大森ワイン

国産ワインの中でも高いクオリティを誇り、全国に多くのファンを持っています。

 ドイツ生まれのワイン用ぶどうを精選醸造した大森ワインは爽やかな芳香と風格ある味わいです。

 

◆八杯汁 

◆「つるつるとした喉越しは八杯でも食べられる。」というのが名前の由来。

 冬は、豆腐の千切りで作るすまし汁に長イモを擂り下ろして流し入れた「八杯汁」が体をポカポカと温めてくれます。

 

◆病焼き 

◆毎年12 月8日に「やきもち」を1つ真黒に焦がして近くの川に流す行事「病焼き」という風習があります。

 健康を祈願した横手各所に伝わる冬の慣例行事だそうですが、大森町では今も行われ健康祈願されているそうです。

 

農産物直売所・・・野菜蔵

◆大森町には1件の直売所があります。
 

◆野菜蔵

★5月から11月までの期間限定の開店!!

 こじんまりとした店内には、山菜や新鮮野菜が所狭しと並びます。

 常に生産者がレジ当番でいますので、野菜の話を聞きたいなら・・・ここ野菜蔵!

 農家とっておき情報が聞けるかも???

 

 

 ◆温泉宿泊施設としては、雄物川地区には「雄川荘」、大森地区には「さくら荘」があります。 

 

 ◆近隣地区の『農家民宿』情報はコチラから!!

 

 

 

★桃源郷を歩く モデルコ-ス(グリ-ン・ツ-リズム編)

 是非みなさんには、秋田の各地域にある『すばらしい魅力的な地域資源』を堪能していただきたいと思います。

 随時、地域のオリジナリティに富むコ-スを追加していきますので、ご期待ください。 

 

 

                                                      ~平鹿西部編 完~