秋田県西仙北町刈和野の大綱引き
Fundamental principle favor of number one in Japan

 刈和野の大綱引きは「市神」の祭事として五百余年の伝習があり、雄綱、雌綱ともその周囲、約二.二メートル。雄綱、約六十四メートル。雌綱約五十メートル。重さ各久約 十トン。この大綱が厳寒の旧暦一月十五日の満月の夜、古式にのっとて結ばれ数千による引き合いが始まります。 
 
 この大綱引きは五百年以上も前から続いているもので、上町と下町に別れ大町通りで行われます。昔は勝った方が市場を開いたことから、その市の日をつけて、二日町を上町、五日町を下町と呼んでいます。町内に嫁いだ人は、この日は実家に帰って網を引く習慣で、現在は上町が勝てば米の値段が上がり、下町が勝てば豊作と言い伝えられております。 
 
 
 

 

 

 

 
 作業は約一ヶ月前から始まります。綱の原料となる稲ワラは毎年新しいものを用い、二日町、五日町でそれぞれ三五〇〇束ずつ、計七〇〇〇束の稲ワラが使われます。
 大綱も尻綱も「グミ」をもとにして作ります。グミは縄の作り方と違い、三つのワラの小たばを交互に編むものです。二日町の大綱は四十二ひろ(約六十四メートル)で 男の厄年を象徴。五日町の大綱は三十三ひろ(約五十メートル)で女の厄年を象徴しています。
 

 両町の大綱は綱引き当日の一週間前、「ドップ」と呼ばれる両町の境界付近に飾られます。
 大蛇がとぐろを巻いたように七巻きに積み上げ、大綱の先端は中から上に出して飾ります。雄綱は向かって右側に雌綱は向かって左側に飾るならわしになっています。

 
 

 大綱引き当日浮島神社で神官らによって神事が行われた後、「市神」奉裁した行列は大綱のある場所へと向かいます。一行は神官、大綱引保存会長、役員二日町、五日町の建元の方々です。
 大綱の前に到着すると「市神」安置し、八幡幣、御神酒、しとぎ、御供物等を供え、神官がご祈とう、御祓いをします。

   雄綱は二日町の若衆によって二日町の方へ。雌綱は五日町の若衆によって五日町の方へのばされます。その後それぞれの大綱には尻綱、小綱が結びつけられます。
 
 
 大綱を結び合わせるため、両方の大綱を出さなければなりません。どちらが先に出すか、またどれだけ出すのか・・・・・。
 「おまえの方で出せ」 「いや出さない」 「ならば押し合い、さあ来い」と押し合いになります。
   建元は人の集まり具合をみて「綱の出し合い」の指図をします。
 綱の周囲に集まった人たちは堤灯の振りに合わせて「ジョウヤサノサー」のかけ声をかけながら綱を出し合います。
 
 

 危険が伴う作業なだけに、熟練した建元が行います。
雌綱の「サバグチ」を立て、その中に雄綱の「ケン」 を通し。「蛇口結び」で雌綱に結びます。

   結び目の所に上がっている建元がサッと手を上げ、「ソラッー」と叫ぶと引き合いの開始です。提灯の振りに合わせて「ジョヤサノサー」の掛け声をかけながら、渾身の力をふりしぼって引き合います。
 
 
 数千人の力で引かれた綱の結び目は固く締まり、これをほどく作業は容易なことではありません。しかし大槌やテコを使ってなんとかほどき、すべての綱は浮島神社の境内に運ばれます。