ジョウヤサノー! 大仙市 刈和野の大綱引き2010 |
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2010年12月1日掲載 | |
綱の上で見事にバランスを取りながら建元が提灯をふっている。 およそ15分に及ぶ攻防。 手を離しそうになりながら息を切らしながら、何千人の人間が一つの綱をただ引く。 見知らぬ者同士「がんばれー!」「緩めるなー!」と声を掛け合う。 その一帯感と団結力。そして4年ぶりの大勝利。 それは、今年こそは負けられないという二日町の男たちの心意気が、 綱を通じてみんなの心に届いていたからかもしれない―。 |
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祭りを支える地元の農家~佐々木義実さん~ | |
祭りを1カ月後に控えた2010年1月中旬、一足早く極寒の刈和野を訪れた。 |
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(上写真)わらをひと束ひと束丁寧にしごく 佐々木義実さん。 (右写真)義実さんの家には動物がたくさん いる。 |
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まず訪れたのは、二日町(ふつかまち)に長年稲わらを提供している佐々木義実さん宅。 義実さんは「秋田百笑村」(協議会会員)という農業体験受け入れ農家として、 地域のグリーンツーリズムのさきがけとしても知られている。 「このほうが美味しいから」と栽培している米はずっと「はさがけ」で乾燥させてきた。 納屋の二階には、昨年の秋に収穫した稲わらが山となって積み上げられていた。 |
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こうして今年も大綱のおよそ1割にあたるおよそ800束を提供。 義実さんの稲わらは、他の稲わらに比べて丈夫なため、 今年は“ケン”(左写真)と呼ばれる雄綱の先端部を縛る縄に使われた。 ※ 雌綱の先端(右写真)はサバグチという。雄綱を雌綱に通し「蛇口結び」で繋げる。 |
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技を伝え合い、伝統を守る | |
綱をつくる町内の公民館には稲わらのいい香りが充満していた。 中は二部屋に分かれていて、手前の部屋では五日町(いつかまち)の人たちが、 そしてわたしが訪ねた二日町の人たちはその奥の部屋で作業を進めていた。 |
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部屋の奥には一段高くなったスペースがあり、 7人の男性たちが横一列に並んで一編み一編み稲わらを編んでは床に落としていく。 床のタイルの数で綱の長さを測っているからだという。 |
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綱は、3つのワラの小束を交互に (三つ編みのように)編んで“グミ”を作り、 それを大きく束ねていく。 |
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二日町が勝てば米価上昇、五日町が勝てば豊作と言われる刈和野の大綱引き。 だが、面白いことに綱を編む人たちに農家はいない。ほとんどが漁師なのだそうだ。 綱は、正月明けからおよそ1カ月間、期間を集中して作られるため、 時間の融通の利く職業の人たちが合っているから、と自然とそうなったらしい。 42歳から77歳の二日町の男性たち。みなでその技術を教え合いながら伝統を守ってきた。 |
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そして、その男性たちを支えるが3人の女性たち。 農家から届いた稲わらをひと束ずつ機械に通して柔らかくしていく。 昔はすべて手作業で、ひと束ずつ叩いていたそうだ。 稲わらは編みやすいように丁寧にまとめられて部屋の隅へ積み上げられていた。 彼女たちこそ縁の下の力持ちというわけ。 |
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大綱の両脇にのびる綱を「枝綱」という。枝綱は、縄綯いのように掌でひねって編む。 この枝綱作り、主に建元が行うのが昔からの習慣なのだとか。 ベテランともなると笑いながら(左写真)いとも簡単に手元を器用に動かすこともできるが、 今年から始めたという建元の木嶋さん(左写真)は、それに四苦八苦。 数年前に息子が祭りの実行部に加わり、親子一緒に綱引きに関わる木嶋さん。 「祭りの場で一緒に酒を飲めるのが嬉しい」と話してくれた。 刈和野の人にとって、父親は祭りの先輩でもある。 |
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(上写真)二日町建元 佐々木栄さん。 (右写真)一日の終わりはみなで酒を飲む。 空気中に舞って吸いこんでのどに張り付い た稲わらを流すためだ。 |
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そんな二日町の若衆や建元をまとめ上げるのが二日町建元の佐々木栄さん。 「刈和野の人にとって、綱引きとは誇りであり幸せです。建元という立場であっても、 常に先輩を尊敬して後輩には優しさをもって接する。 決していい気にならないように気をつけています。自分もそうして育ててもらったからね。 綱引きは、生きるために大事なことをいろいろ教えてくれるんですよ。」 どこの会社でもそういうのが大事でしょう、と笑った。 |
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二日町は過去3年間負け続き。今年こそは勝ちたいという気持ちを誰もが抱いていた。 「今までいろいろと作戦を練ってきたけど、今年はすべて若い人に託そうと思っています。 うまくいかないこともあるだろうけど、とりあえずやらせてみよう、と。 3年間、下町に観光客をとられてしまって、どうしても数で負けていたけど、 自分たちの負けをそのせいにはしたくないんです。 今年こそは勝って、地元(二日町)の人が誇れる、満足してもらえる祭りにしたいです。」
わたしたちにとっては、秋田の伝統の冬祭りのひとつ。 しかし、刈和野に人にとっては、プライドをかけた「真剣勝負」なのだ。 |
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祭りを彩るミニかまくら | |
会場に向かう途中、せっせとミニかまくらを作る人たちに出会った。 秋田県キャンプ協会の人たち。会員の一人が刈和野の出身で、ここ数年続けているそうだ。 「お祭りだから何かしたいと思って」と集まっては祭りを観てしながら楽しんでいるという。 いろいろな人がこの祭りを愛して集まっている。 |
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若衆の熱気がぶつかる「押し合い」 | |
刈和野の大綱引きは、かつて市場の開設権を綱引きで決めていたのが由来とされている。 ドップと呼ばれる綱を結ぶ中心部にどちらが先に綱を出すか、 その駆け引きを、若衆らが「押し合い」というぶつかり合いで決めるのだ。 |
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綱引きの本番を前に、両町から若者が 集まり激しい押し合いが1時間ほど続く。 |
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黄色いはちまきが二日町、赤が五日町。 まず、両町から男が1人ずつ「ジョヤサ!」と叫びながら中央に躍り出る。 5人、10人と男たちが増えて山ができると、両町1人ずつ提灯を掲げ山の上に立ちあがる。 そして「ジョヤサ!」と叫びながら、どちらかの陣営になだれ込み、 山が崩れたところでひと段落するらしい。こうしてお互いの士気を高め合うのだ。 |
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建元の背中 | |
午後8時。いよいよ「綱のばし」という雌綱と雄綱を結ぶ作業がはじまった。 二日町建元の佐々木栄さんが、 周囲を取り囲む人に向かって「みなさんの力を貸して下さい。お願いします」と呼びかける。 重さ10tになる綱は、数cm動かすにも大きな力がいる。自分たちだけでは動かせない。 「祭りの責任者・建元として、観光客の人たちにも失礼のないようにしたい」と栄さんは言う。 この時から、周囲も大きな声を出すことを禁止される。 |
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観光客らが自然と綱を手に取り、建元の指示によって少しずつ雄綱と雌綱が近付いていく。 綱が無事に繋がるまでの間、周囲は両町の建元たちの姿をじっと見守り続けた。 場を取り仕切る建元の姿は、とても凛々しくかっこいい。 刈和野の男の子にとっても、建元とは「憧れの存在」である。 「建元になることは、人間として一人前になったと認められたような気持ち」と語るのは、 建元歴25年の俵屋さん。同じく建元の泉谷さんも「誰でもなれるものでないから」という。 子どもたちが、憧れのまなざしでその姿を追う。「いつか自分も-。」 |
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(右上写真)カメラを向けると真剣な表情 でポーズをとってくれた。 気分は大人の輪の中に入っているの かもしれない。 |
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「祭りに参加するのが“刈和野衆”なんです。参加することでみんなに認められてると感じる。 でも、決して威張ったり、いい気になったりしてはいけないのです。」 栄さんの口から何度も発せられ謙虚であることの大切さ。 刈和野衆の上に立つことを許された「建元」その二文字を背負うその背中には、 伝統の祭りを担う「責任」をもまたしっかりとのしかかっているのだろう。 |
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そしてー | |
午後9時。大勢の刈和野衆と観光客がかたずをのんで建元の合図を待っている。 結び目を確かめ、建元たちが目で合図を交わす。 最後の1人が綱を下りた瞬間。 空気が割れた。 「ジョウヤサノー!」の掛け声にみなが一斉に綱を引く。声に合わせて力の限り。 建元の合図を見やる余裕などない。ただ一心に後ろへと綱を引く。 |
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「勝ちたい」という栄さんたちの4年越しの想いが、 耳に届く声の力強さや綱のあたたかい感触からしっかりと伝わってくる。 途中劣勢になった。まっすぐな商店街だが、二日町側は終盤カーブになっている場所があり、 後方を務める人たちが、進路を確認するために一瞬綱を緩めてしまうらしいのだ。 |
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そして、勝利の瞬間。誰もがこれで勝ったのか?!どうなんだ?!そう思っただろう。 それほど二日町の人たちは勝利の感覚から遠ざかっていた。 栄さんが、何度も何度も万歳三唱を叫ぶ。 上町に稲わらを提供した佐々木義実さんも、 途中から「もしかしたら今年は勝つかもしれない」と思い始めたという。 「こんな場所まで上町の綱がくることはなかったからな」と嬉しそうに笑い、 「これが俺のわら」と雄綱の先端を指さして教えてくれた。 |
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二日町の人だけではなく、それに関わった全ての人にとっても、待ちに待った瞬間だった。 「たかが綱引き、されど、です」と栄さんが話してくれたことを思い出す。 「綱を愛してくれる人が増えて、綱を作る人も増えて、 みんなが刈和野の大綱引きを好きになってくれたら嬉しい。」 刈和野に生まれたものとしての誇り。それを持って来年も勝ちにいきましょう、栄さん。
県北担当やっつ |