上小阿仁村 沖田面の裸参り | |
2010年12月3日掲載 | |
二月。一年で最も寒いこの季節に、月明りだけが滲む真夜中の町を、 白はちまきにふんどし姿の男たちが藁ぞうりを履いてひた走る。 白い息を吐きながら、凍える身体で一歩一歩向かうのは古くから集落を見守る友倉神社。 人々はなぜこんな真夜中に寒さに耐えながら裸で走るのだろう。 上小阿仁村 沖田面集落に伝わる伝統行事「裸参り」を取材した。 |
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五穀豊穣・無病息災 | |
路面の雪も幾分溶け、冬も折り返し地点を回ったことに気づく2010年2月21日。 上小阿仁村沖田面(おきたおもて)集落の裸参りは、友倉神社の年中行事の一つとして、 300年以上の歴史があるといわれている。 沖田面集落は上小阿仁村の中心集落として、360戸およそ700人が暮らしている。 昔は、時間になると家長が一軒一軒それぞれの家で装束に着替え、 0時を合図にその家から神社に向けて走り出すというものだったらしい。 近年では、次第に参加する家の数も人数も減ったため、 地元で旅館を経営する高橋健生さんが世話役となって取りまとめ みなで一斉に出発するようになったそうだ。 今年は、小学校2年生から52歳まで30人余りが参加した。 それでも、禊(みそぎ)をして、五穀豊穣、無病息災、 集落の安全などを祈念する気持ちは、今も変わらず受け継がれている。 |
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伝統と儀式 | |
ただ裸で走るわけではない。ちゃんとした順序がある。 | |
午後11時30分。男性はふんどし姿、女性は長じゅばんという格好で宿前に整列。 なんと、小3の女の子(写真左)も参加するというから驚いた。 父親は「まあ、今しかできないことだから。」と承諾したらしい。 「転ばないように頑張ります!」と勇ましく語ってくれた。 |
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「道彦」と呼ばれる男性の合図で、 「エーイ」などと叫びながら独特のポーズをとる出発前の儀式が始まった。 そして、「やっ!」だの「それっ!」だの、威勢よく水垢離をして身を清める。 前述の女の子も同じく水をかぶる。見ているこちらが凍えてきた。 今年は、上小阿仁村八木沢集落「地域おこし協力隊」の桝本さんと水原さんも参加。 桝本さんは、村に来る前から裸参りを知り、参加するのを楽しみにしていたそうだ。 |
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祭りは集落の繋がり | |
午前0時をまわった。濡れた装束を着替え、道彦が「いくぞ~。」と呼びかけると、 みな一斉に神社へ向けて走り出して行った。 街灯の少ない冷え切った夜道を一気に突っ切っていく。 |
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昔は、声を出したり転んだりしたら初めからやり直しだったそうだ。 「誰が声を出したかなんて、分からないんじゃないですか?」と聞くと、 「だから、みんなで押したりして、わざと転ばせたりするんですよ。」と 男性が昔を思い出して少し意地悪そうに笑った。 今よりも人数が多くて活気があったころ。子どもにとって裸参りは、 いつもは怒られる「夜更かし」を許されて大人の仲間に入れてもらえる、 そんな、ちょっと背伸びをしたわくわくすることだったのかもしれない。 今年の子どもたちの顔を見ていたら今の子も同じ気持ちかもしれないと思った。 |
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集落を見下ろす丘に建つ友倉神社はたいまつで煌々とされ、走って来る人を待ち構える。 旅館前を出発してから15分。一番乗りが辿り着いた。 1人また1人と鳥居をくぐりやって来る。みな、息を弾ませ身体は寒さで赤くなっている。 |
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手に持った御幣は、落とさないように大事に抱え、辿りついたら神社へ奉納するそう。 御幣の中には、5円玉とお米が入っていると高橋さんが教えてくれた。 神社の中では、集落の人たちが暖かくして到着を待ちわびていた。 暖かいお茶をふるまう女性たちや、かつては自身も走ったのであろう 男性たちが、優しい顔でその労をねぎらう。 |
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今年厄年だという男性たちは(左写真)「すっかり厄が落ちました」と満足げな表情で話す。 大館市から特別に参加した男子中学生は、祖父に連れられてやってきた。 「昔自分が参加して良かったと思ってたけど、もう年で出れないから孫を連れてきた」という。 お孫さんも「いい思い出になりました」と話してくれた。 |
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受け継がれる伝統 | |
伝統は受け継ぐ者がいなければ廃れてしまう。それは形の無いものほど早く。 しかし、この子どもたちの顔を見ていると、 記憶と絆が拠り所となる「伝統」というこの地域のみんなの宝物は、 これからも確実にこの地に存在し続け、心をつなぎ、 大切に大切に世代を超えて受け継がれていくのだろうと確信できる。 楽しそうな子どもたちの横で祝い酒を囲う大人たちの顔には、 今年もその伝統を守り切り、無事に終えた充足感が満ちていた。
県北担当 やっつ |