2010 盆の風景

~阿仁前田獅子踊り、大湯大太鼓、福米沢送り盆~

記録的な猛暑が続くこの夏。

秋田県内各地でも様々な盆の行事が行われました。ほんの少しだけご紹介します。

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8月13日 北秋田 阿仁前田獅子踊り
 

かつて、県内屈指の大地主だった阿仁前田 庄司家。

広大な土地に、およそ700人の小作人を抱えていたという。

現在阿仁前田で“庄司さん”が多いのは、その小作人たちが姓を受けて名乗ったからだそうだ。

阿仁前田獅子踊りは、旧盆中村々を踊る習わしであった。

 

13日の本番を前に、地元小中学生たちと保存会とがおよそ1カ月の練習を始める。

阿仁前田には4集落の土地の権利者でつくる「本郷部落会」というものがある。

獅子踊りは、その本郷部落会の「郷友団」という青年たちが中心となって行っている。

しかし、かつて100人ほどはいた会員もいまでは11人。

うち獅子踊りに参加しているのは、仕事や個々の事情で3~4人に減っているのだという。

そこで保存会では十数年前から地元の小学生に声をかけ人数を増やしていった。

しかしそこに押し寄せる高齢化、少子化、若者流出の波。阿仁前田地域も例外ではない。

地域の中で有志を募ってるだけでは跡が続かなくなってきた。

↑阿仁前田中学校の生徒たち。

元気いっぱいの笑顔を向けてくれた。

↑それを見守るおばあさん。

前はもっと人がいたけど、賑やかさは一緒、と笑う。

そんな中舞いこんできたのが、中学校の総合学習という朗報だった。

保存会が獅子踊りを生徒に教え、生徒たちは練習の成果を文化祭で披露する。

今年総勢50人弱の踊り手のうち、中学生はなんと28人。

いま阿仁前田獅子踊りは、確実に子どもたちの存在によって支えられている。

13日 午後7時。

どっこいなー、どっこいなーの掛け声で行列が始まる。

棒使いや駒踊りなどの演者たちが、徳川時代の参勤交代を模して庄司家前を通過する。

行列の最後に3匹の獅子が入ると獅子踊りが始まった。

雄獅子、中獅子、雌獅子の三体が踊る三立おどり。演じられる物語は、五穀豊穣祈願とともに

3匹の獅子の三角関係、愛情のもつれ、恋の葛藤を表現しているといわれている。

本来であればその内容を示す歌がつくのだが、すでにその調子を知る者はおらず、

現在は歌は無くてはやしと踊りだけになっている。

↑獅子踊り 

朝霧に迷い込んだ雌獅子を雄獅子と中獅子が探し迷い、

雌獅子を探し当てた喜びに狂い踊る場面がクライマックス。

↑奴(やっこ) 

手に白旗をもち、奴頭を先頭に踊りが続く。

現在伝わる種目は9種目だが、昔はもっとたくさんあったという。 

↑駒踊り 

戦場を駆ける騎士や敵と渡り合う様を表現している駒踊り。

近年は8駒ほどの駒がでるが、今年は12の駒が演舞した。

↑棒使い(八つ払い) 

近年では2人1組で棒を交わらせる演技が通常だが、

以前はもっと複雑な演技をする人もいたという。

 

↑はやし方 

佐竹義和公は国内巡視で阿仁を訪れた際各地の獅子踊りを

ご覧になったが、中でも前田獅子踊りをたいそう気に入ったという。

↑神楽 

昔は正月や祭りの時に演じられるものだったが、

いつしか獅子踊りの演目の一つになったのだという。

全ての演技が終わると、阿仁前田獅子踊保存会 会長庄司精晴さん

格子越しに立つ庄司家当主に向かい「庭先を拝借いたしまして、

これにて獅子踊り無事に終わりました。誠にありがとうございました。」とあいさつを述べた。

精晴さん

「かつては、獅子踊りだけでも3隊編成できる人数がいて、夜通し近隣の集落を訪れて

披露していたという時代もありました。今は本当に人が少なくなっているし、

昔を覚えている60歳以上の人もなかなかまつりに参加してくれません。

昔の人は本当に上手な人が多いんですよ。でも誘っても断られてしまう。

それに、子どもたちも進学するとせっかく覚えた獅子踊りから離れていってしまうでしょ。

今後はそうした若者にたくさん声をかけて、一緒に後継者の育成をしていきたいと思います。」

と獅子踊りと地域の未来に向けて話してくれた。

8月15日 鹿角 大湯大太鼓まつり
 

昔の南部藩時代の名残で馬の皮を使った皮は新聞紙3枚程度の薄さしかなく、もろく雨に弱い。

あいにくの天気となった15日、昼間の運行は中止となった。

会場となった大湯体育館には勇壮な大湯大太鼓を一目見ようと大勢の人が集まり、

歴史ある盆の風物詩を楽しんだ。

戦国時代、南部藩と秋田藩の戦で大湯の地は秋田藩の強烈な攻撃により陥落の危機に陥る。

南部側に立った鹿倉城主 大湯四郎左エ衛門昌次は、太鼓や鉦を鳴らし人々の士気を高めた。

無事に危機を脱した武士たちを、村人たちはその太鼓で迎え労をねぎらったという。

その後、豊臣の天下統一に巻き込まれ激しい戦乱ののち城は落城するが、村人や子孫たちは、

その霊を慰めるため、そして村の発展、五穀豊穣を願って今も太鼓を打ち鳴らし続けている。

 

40~50kgはある大太鼓を4人で支え、うち1人の打ち手が長いバチを巧みに操る。

3人の補助は、タスキなどは使わずそのまま全身の力で持ち上げる。

大人子供、男も女も関係なくみんなが同じ大きさの太鼓を使うのには驚いた。

   

本来は競技会の意味を持つこの大湯大太鼓。

若組と呼ばれる集落ごとの組から打ち手が選抜されて競技に臨む。

保存会会長がその場でくじで引いて演目を決める。それを5人の審査員が審査をする仕組み。

高校生から20代を中心にした若者が伝統の調子を響かせる。

   

10分間打ち続けるという競技に臨んだ若者たち。

全身の力を振り絞り、バチを振りまわすその姿にかつての自身の姿を重ねるのだろうか、

微笑ましく見守りながら声援を送る男性たちの姿がそこにあった。

 

そして親子太鼓。親子代々、大太鼓保存会に入っていることが条件とされる親子太鼓には、

年々条件を満たす親子が少なくなってきているという。

息子の智也君(13)と息の合ったバチさばきを披露した佐藤一幸さん(45)は、

ここ数年続けて出演している。「本来は男の子しかやれないものだから、

一緒にできるのは男親として嬉しい限り」少し頬を緩めて話してくれた。

   

その中でもひときわ大きな拍手が起こったのが親子三代の共演。

祖父を真ん中に息子と孫がそれを支える。

子どもたちの目には祖父と父の背中が頼もしく、そして格好良く見えたに違いない。

 

 

 

太鼓も30~40年前は50台ほど出ていたというが、今年は12台に留まった。

今では小学生も習うようになり、子供にとっては練習の成果のお披露目の場となる。

大勢の前に立つ子どもたちも緊張するが、もちろん見守る親たちも気が気ではない。

「予行練習では失敗してしまったから本番が心配でしたが、無事に終わってほっとしました」

と話す母親の横で「普通だったよ」と淡々と、でもとても満足気な表情の雄一郎君

将来有望な後継者を見つけた。

8月16日 男鹿市 福米沢送り盆
 

赤い長じゅばんに笠を被り、口には紅を引いた女装でささらと笛を鳴らす男たち。

それを勇ましい太鼓3台が引き連れて町内を練り歩く。

毎年8月16日、町内を上から下へ歩き、家々に帰ってきた霊を引き連れて墓場へ向かう。

特に、一年のうちに亡くなった人の新盆を迎える家では、庭先を時間をかけて三周し、

帰りがたいであろう霊の手を優しく引いていく。男鹿市(旧若美町)福米沢に伝わる送り盆だ。

   

保存会会長 石黒茂雄さんのお宅でも今年は特別な盆を迎えた。

今年1月、義母ヨシヱさんが94歳でこの世を去った。

「普通のおばあちゃんだったよ」と娘で茂雄さんの妻温子さんが亡き母を振り返る。

   
↑玄関前に机を出し、その上に供え物と位牌、写真を飾る。 ↑自宅の庭先で披露される演技を見つめる石黒茂雄さん。

俳句が好きで、よく広報に投稿していたヨシヱさん。小柄でかわいいおばあちゃんだった。

「お盆でやっと一区切りがついたかな。亡くなってから7カ月でしょ。

それなりに落ち着かなかったからね」と話す温子さん。

その隣で話を聞く茂雄さんが「これのおかげでみんなが覚えててくれて、拝みに来てくれる。

村のみんなで仏さんを大事にしてるってことだもんな。いい行事だよな」と続けた。

 

村中を歩いて墓に着くと、今度は墓地に炊かれた送り火の周りを回って霊を落とす。

丁寧に念入りに。

決して広くはない墓地の中で、その霊がきちんと自分の居場所に帰れるよう、

何度も何度も笛を吹き、太鼓を鳴らし、ササラで霊を送り出す。

集落の家々では、盆の間、仏前に7枚の如来札と如来旗を供える。

16日夕方、人々はそれをワラにくくり、

同じく供えていたナスとキュウリで作った馬を持って墓へ向かう。

送り火の中に備えた花や菓子などと一緒にくべて焚き上げる。

人々は送り盆の演者と共に時間に合わせて墓へ行き、共に先祖を見送る。

 

しかし、送り盆の見どころはここからだった。町内4か所で激しいぶつかりあい。

集落の人々が、今まで演技をしていた若者とはしごを挟んで押し合う「はしどめ」

未練を残しどうしても帰れない霊を、今度は力で跳ね返す。

それまでのしとやかな風情から一変、荒々しさを隠さないその光景に驚いた。

 

保存会会長の石黒茂雄さん「ここを離れて東京や埼玉で暮らして向こうでお盆を迎える人も、

8月16日には送り盆の日だな、と思い出すんだそうだ。

送り盆はこの福米沢を巣立った人にとっても大切な行事。みんなで守り伝えて行くためには、

今ここにいる人の責任で若い人に伝えて行かなければいけないと思います。」と語った。

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紹介した盆の風景は、どれもけっしてきらびやかな豪華な行事ではありません。 

小さな集落の中で父から子へ、子から孫へ連綿と息づいてきた生きた歴史です。

今回、先祖供養の意味に合わせ地域の大事な伝統を守り伝えようと頑張る

たくさんの人に出会いました。そして、その意思を受け継ぐ次代のたくさんの子供たちにも。

後継者がいないから続かないのではなく、後継者を育てるからこそ続くのだと痛感しました。

 

みなさんの今年のお盆はいかがでしたか?

時には自分の地域の歴史、

そして近隣集落の伝統に想いを馳せるお盆を過ごす年もいいかもしれませんね。

 

県北担当 やっつ