西馬音内盆踊り 700年超えて響く哀愁の出囃子

出囃子の音に導かれるまま、世紀を超えてくり返される音頭に溶けこんでいく、秋田県羽後町のかがり火灯る本町通り。大勢の観覧客がじいっと眺める中、深く被られた編笠と頭巾が列をなし、よせては返す波のように手先をはためかせます。くるりと翻って、またよせて、この世とあの世の間を流れる三途の川を行き来するように。顔を覆われた踊り手の風体には、黄泉の国より訪ねにきた祖先の霊が宿り、霊魂を慰める「亡者踊り」の夜が始まります。

漆黒の空の下でゆらめく「端縫い衣装」は、色とりどりの絹衣たちの万華鏡のよう。家々で受け継がれてきた衣装の中には、古くは江戸や明治からの生地が接がれているものもあるそうです。袖口の柄は合わせつつも、左右の縫い合わせは非対称。妖艶な身のこなしで人々の心を奪うのは、幼い頃から何年も稽古を重ねてきた女性に宿る霊力です。

その中に紛れるように散らばるのは、「彦三頭巾」とよばれる黒い頭巾を被った藍染め衣装の踊り手たち。まるで舞台の黒子のように、そこにいるけれども存在を隠す彼ら。下に潜むのが勇ましい青年であれ可憐な少女であれ、皆で亡者の一団となって、700年以上前から受け継がれてきた舞をなぞります。

岐阜県の郡上(ぐじょう)踊り、徳島県の阿波踊りと並んで日本三大盆踊りに数えられる西馬音内盆踊りですが、その発祥については諸説あるようです。古くは鎌倉時代に豊作祈願の踊りとして始まり、江戸時代に滅んだ西馬音内城主の小野寺一族を偲んだ亡者踊りへと合流し、天明年間(1781年~1789年)に会場が現在と同じ本町通りへと移ったと伝えられています。四季が一周するとともに繰り返されてきたお囃子を聞くと、まるで現代と古代とを隔てる時空を超えるような、永遠の哀愁の響きの中に迷い込んでしまったように感じます。

ステップはとても簡単に見えるが、ラテンダンスをする私にとっても意外と難しかった。ただ、不可能とまでは言わない。実際の演舞では通常綺麗な衣装に身をまとった女性が披露するもであるが、男性が参加することも可能である。私は先生の指導もあり、その日の踊りの約半分ほど習得することができた。