輝湖(仙北市田沢湖潟)

輝湖 
1500坪の敷地内で
「輝湖」はハーブ園、畑に囲まれる

 オーナーの高橋忠さん(66)、輝子さん(57)夫妻を巡り合わせたキーワードは「夢」だった。初めて会ったときの印象を、輝子さんがこう話す。

「自分の手で何かを作り出したい、夢いっぱいの人だったんです。ジャズの店を開きたいとか、次から次へと出てきました。そう、湧き出るみたいに」

 輝子さんはわくわくしながら聞いたのをよく覚えている。

 当時に描いた夢を思い浮かべているのかもしれない。忠さんは、輝子さんの話に笑顔で頷いている。

 山内村(現・横手市)出身の忠さんは会社勤めをしたものの、いつも事業を興したいと考えていた。 いっぱいある夢のひとつだった。ちょっとしたヒントでひらめいたのが「畜産サービス業」。 チップ工場で古材を粉砕する際に出る、細かいダストを畜産農家に売るのだ。 ダストは牛や豚の畜舎にワラの代わりに1メートルぐらいの厚さに敷く。千葉県内で始め、当たった。 「高橋のダスト」の評判を得た。「寝る暇もないぐらいあちこちから注文があった」

 ふたりは1974年(昭和49年)に結婚した。忠さん31歳、輝子さん22歳。

 田沢湖畔に移り住んだのは、輝子さんが「あそこに住んでみたいな」と言ったのがきっかけだった。輝子さんの思いは、真っすぐに通じた。

「僕が35歳の時でした。田沢湖といえばネマガリダケが採れるところ、後はスキー場ぐらいしか知らなかったけど、それからは、その夢を目標にしました」

 夢いっぱいの忠さんが、輝子さんの夢を目標にしたのだ。ロマンティックだなあ。だから当然、名前は「輝湖」に決まっていた。

高橋さん夫婦
高橋さん夫婦と話をすると、
あらためて気づく。
「物作りは人を豊かな笑顔にする」

事業の傍ら、「こういう家を建てたい」と画用紙に夢を描き続けて20年後、ログハウス風の家が完成した。 1500坪(4950平方メートル)の土地に、ロフト付き2階建て72坪(237.6平方メートル)。 タタミ40畳分の居間は、ふたりの仕事場も兼ねている。道路を挟んで向かいが田沢湖。 畑で、一階の居間から、二階のベランダで、と違った表情の湖が望める。 「窓を湖側にしたから、玄関は裏口なんです」。忠さんは苦笑いを浮かべた。

ふたりの物作りの生活が始まる。

樹脂粘土で人形を作る。アケビつるでかごを編む。山ブドウやクルミの樹皮とも格闘した。 さまざまな種類のハーブを植える。それを乾燥させリースを作る。 パッチワークの布を手提げ袋にし、人形の衣装もあつらえた。山に入っては、山菜やキノコなど「旬の味」を採る……。 「初めて挑戦するのがほとんど。好きだから本を読んだりして、やり方を覚えた」と忠さん。

広々した居間で落語会やクラシックのライブを開き、地元の人たちとの交流も図った。楽しい。 しかし、収入源にはならなかった。たまたま町役場を通して中学生のホームステイ先を探しているのを知った。 高橋さんの家は即、合格。「ハーブの栽培、収穫体験」などで主に仙台市内の中学生を受け入れた。 春から初夏にかけて、それと秋の年2回、子供たちの歓声が響く日々が続く。

「みんな礼儀正しいというか、いい子たちばかりで。安心して見てられるんですよ」(輝子さん)

2005年(平成17年)、「一般のお客さんも泊めたい」と、農家民宿の許可を取った。 「気兼ねなく、だれでも泊められるからとてもよかった。だけど……」。忠さんは秘密めいた口調で続けた。 「一般客はあんまりとっていない。口コミで来てくれる人か、リピーターぐらいかなあ。 よく『ホームページとかでもっと宣伝したら』と言われるんだけど、したくない」

さらに声を潜め、表情が緩んだ。

「なぜかってさあ、お客さんが毎日来たら、僕らの体、持たないよ。そう思わない? 」  なんだかすごく嬉しくなった。「そうだ、そうだよね」と納得できる。 「弁天の宿」(本荘市東由利)の高橋京子さんも断言したではないか。「この商売、もうけようと思ったら絶対できない」と。

田沢湖のの眺望
靄に包まれる早朝の
田沢湖の眺望を「輝湖」から望む

「宣伝しないのに来てくれたお客さんが『面白かった』と帰ってくれると、ありがたいなあ、と感じる」

「『友達から話を聞いて来たんですけど』。こんな感じで来てくれるのがまた、すごくうれしい」

 忠さんの思いに輝子さんが笑顔でこたえる。

「そういうお客さんなら、『湖で拾ってきた流木だけど、面白い形してるから』って、構えずにプレゼントできるじゃないですか」

 薪ストーブで温もる広い部屋の中、2匹の犬「モコ」と「ボンちゃん」が、静かに寝そべっている。