「弁天の宿」(由利本荘市東由利老方)
静かな佇まいの「弁天の宿」
「やるかどうかの結論を出すまで、3カ月かかったのよ」
「弁天の宿」のオーナー高橋京子さん(61)に会って、最初に聞いたそのひと言はインパクトが強かった。 なにしろ当方は「成り行きの積み重ね」なのだから。
経営するスーパーをどうするかと悩んでいたころ、目にしたのが「農家民宿が修学旅行生受け入れ」の新聞記事だったという。 スーパーは「地域のデパート」の役割を担っていた。商いは5代目。 夫が亡くなった後も息子と一緒に、約20人の従業員を抱えて経営の先頭に立ってきた。 しかし、そのスーパーにも陰りが見え隠れし始めたのだ。高橋さん自身、揺れていた。
以来、グリーン・ツーリズムの講習会に通い、開業している農家民宿を訪ねた。
「こんな生き方もあるんだ」
従業員の生活を支えるためにも、利益を追求しなければならない、そんな暮らしとは無縁な感じが新鮮だった。
そこに高橋さんの心をほんわかとさせ、肩の力を抜いてくれる出来事があった。 東由利を出てよそで暮らす幼なじみが「お宅に泊めてもらえない? 」と頼んできたのだ。 法事があるので帰りたいが、実家や親戚も代替わりしていて泊まりにくいのだという。 根っからの姉御肌である。断る理由はなかった。
ふだんの料理でもてなした。例をひとつ挙げれば「ワラビたたき」。受けた。 「懐かしい」「うめえ」の笑顔がそろったのだ。
「昔、一緒に遊んだ友達が『これよ、これっ。郷土の味だねえ。うめえなあ』とほんとに喜んでくれたんです。ただの田舎料理なのにね」
高橋さんは決断した。
「ふるさとなのに、気を使わなくていい家がもうない―そういう人たちが気軽に泊まれる宿を開こう。いつでも帰って来て」
「弁天の宿」は店の倉庫だった建物を改装した。 2005年(平成17年)に営業の許可を取り、初めは自炊だけだったが、07年(同19年)12月に今の食事も提供するスタイルにした。
「泣くのと笑うのが一緒になったこともあるんですよ」
「? 」
「一方は葬式で来て、片方は結婚式に出席するために帰ってきたの」
もちろん帰省する人ばかりではない。本荘市に出張に来て1週間、10日と泊まる人もいる。
「うちは私ひとりでやっているから、サービスが行き届かない。お茶も出さないし。だから、安くしている」
気楽で居心地がよかったのだろう。リピーターとなって、やはり「帰ってくる」。
「弁天の宿は、
いつでもあなたのふるさとになりますよ」
と話す高橋京子さん
高橋さんは大きな事業を手掛けた経験から、この仕事で儲けようとは一切考えていない。
「そんな勘違いをしたら絶対できない。私自身が楽しみながらできるのが一番。だって人が喜んでくれるのって楽しいでしょう。これって生きがいだよね」
同じ言葉でも、さまざまな苦難を乗り越えてきた人が言うと重みが違う。 グリーン・ツーリズム初心者が「楽しみながらできるのが一番」と言ったら「10年早い」と叱られるのがオチだ。
だから、たとえ「変わった人」と見られても、高橋さんは動じない。
そして。高橋さんは、ひょっとしたら、と待っている。
いや、高橋さんの表情は正直だ。
必ず来る、と待っている。
「今の時代、どこにもふるさとがない人たちがいます。 そういう人がいつか、『弁天の宿にはどうやって行けばいいですか? 』って、電話してくるかもしれないでしょう」
東由利は高橋さんのご自慢の里―。