あきた農山村・旬を感じる鳥海山麓

千年の時を超える農村と受け継がれてきた伝統芸能

旬を味わう農家・漁家レストランを訪ねて~

 平成22年9月11日、秋田県農林部農山村振興課が主催する日帰りモニターバスツアーの模様をレポート。

 (上記写真は、横岡集落の広大な棚田。石積みの棚田は、県内では珍しい)

 

●大内町農産物直売所「ひまわり」

 (由利本荘市岩谷町字西越36 道の駅「おおうち」総合交流ターミナル「ぽぽろっこ」内)

 

 大内町農産物直売所「ひまわり」は、総合交流ターミナル「ぽぽろっこ」(羽越本線「岩谷駅」と国道105号線を結ぶ沿線)内にあり、併設するレストランや温泉宿泊施設などとともに、大内町の交流拠点になっている。

 平成11年、販路拡大・経営の安定を目指し、町内で直売活動をしていた58名の朝市メンバーを中心に「ひまわり会」を設立。

 現在は会員89名、生産者一人ひとりが経営を取りまとめており、それぞれの農家ごとの特色が生かされた直売所となっている。

 大内町の肥沃な大地で育った「里の幸」・「山の幸」は、春夏秋冬それぞれの表情をみせて人々の訪れを待つ

 がっこに集まる女性陣。「んめべが~まンず食べ比べてみるが?」朝一で完売という日もあるので、午前中の購入がおすすめ。

 大内地域農産物直売所「ひまわり会」会長・真坂平通(としみつ)氏による挨拶、直売所の説明。

 ミニトマトを納品している生産者、菊地裕子さんに出逢った。自ら納品するのは大変かと尋ねると、「今何が一番売れているか判るでしょ。お客さんの顔が直接見られるのも嬉しい。アッ、今わたしの(商品)買ってくれた!って」との答えが。

 いま話題の「グラパラリーフ」を使用したジャムは、大内の新たな特産品となりつつある。ラベルには、「20種類以上のミネラル・カテキン・マグネシウム・カルシウムたっぷり」とある。クセのない甘さ、レモンのような酸味がある。

 無農薬栽培のグラパラリーフ。中南米産の多肉植物を品種改良したもので、胃腸改善・滋養強壮の健康食品としても食されているという。「金のなる木」と同じベンケイソウ科と聞いて納得、葉の厚みが似ている。

 よどぎみの購入物。大内町特産のミニトマト(菊地さん生産)、秋田県の奨励品種の枝豆「香り五葉」、地元のパン屋のあんぱん、原木しいたけ、干ししいたけ、大量に入ってお買い得感があったオクラ。

●仁賀保高原土田牧場

 土田牧場には、配合飼料を使用せずに100%仁賀保高原産(自給)の牧草で飼育された約180頭のジャージー乳牛がいる。

 乳量は少ないが脂肪分・栄養価の高い「エクセレント」という品種の乳牛から作られた、品質の良い乳製品や、ソーセージなどの肉製品に定評がある。

 平成14年度の「優良ふるさと食品中央コンクール」では、土田牧場オリジナルの「ジャージー生菌ヨーグルト」が農水省総合食料局長賞の栄誉に輝いた。

 写真は、「熱を加えるとビタミンDなどの栄養素が失われ、体内にカルシウムが吸収されにくくなる」など、栄養価の高い低温殺菌牛乳の説明をする場長・土田雄一氏と、彼の話に耳を傾ける参加者ら。

 矢島出身の土田氏は、開業当初バスに住み込み、まさに“夏山冬里”な放牧生活を行っていた。健康な放し飼いの牛を追求するため、やがて家族でこの仁賀保高原に移り住んだという。

 ジャージー牛乳たっぷりソフトクリームは、シンプルでいながら濃厚な味わい。

 休日にはたくさんのリピーターが訪れるが、年中無休なので、平日がのんびりできてオススメだ。

和み庵 京かのこ(昼食)

 昼食会場となった農家・漁家レストラン「和み庵 京かのこ」の様子。色とりどりの小鉢に盛られた宝石のような料理たちに、参加者からは感嘆の声があがった。

 この日のメニューは…塗箱入れ三種(ごま豆腐・黒ごま餡かけ・モズクの酢の物)、鮭南蛮、ヒラメ・タコの刺身、めさしカレイの焼き物、わかめのエゴ風寄せ物、茶碗蒸し、竹の子ご飯、自家農園の漬物、ほっけ・甘エビすり身の吸物、水まんじゅうなど。

 野菜は有機肥料で栽培した無農薬の自家農園産、水産物のほとんどが象潟・金浦産。

 農家・漁家レストランならではの旬の幸を味わうことができる。

 食後の抹茶サービスも、女性客にとても好評だった(コーヒーも可能)。

★農家・漁家レストラン

 「和み庵 京かのこ」

  

  住所:にかほ市金浦字鳥長根144-10

  TEL:0184-38-3096(※完全予約制

  営業日:木・金・土曜日

  営業時間:ランチタイム 11~14時

         ディナータイム18~21時

    茶室のみの利用も可能です。

   茶道体験や着付、織物体験は要相談。

  

 写真は、農家レストランを開業するまでの流れや、現在の充実ぶりを話する小柳千鶴子さん。

 

上郷温水路群見学・横岡集落散策(ページトップ写真は、横岡集落の棚田)

 「上郷温水路群」は、鳥海山の融雪水の冷水害対策として作られた、日本で初めての水路。水路幅を7mほどに広め水深を浅くし、冷たい雪解け水を段階を追って温め(田植えシーズンは5℃程度、現在の水温は14℃)、田畑などに流す。 

 昭和2年~35年までの機械がなく不便な時代に、全てを人の手で施工、携わった地域の人々の熱意・協力により、総延長6kmにも及ぶ大事業が成功した。

 長岡・大森・水岡・小滝・象潟の5つの温水路のうち、写真は小滝温水路。

 小滝温水路の水質は酸性で、水源地は400~500m上流の中島台獅子ヶ鼻湿原あたり。

 2006年、農林水産省の「疏水100選」にも選ばれた(参考:疏水名鑑)。

 西暦76年が発祥の起源とされている横岡集落は、標高200m~270mで降雪量も多いため、流雪溝を網羅している。

 珍しい石造りの蔵や石垣、瓦屋根や手入れされた民家の庭などが目に入る。

 「鳥海山」の名前の起源は、陸奥の古豪安倍氏の子孫「鳥海氏」と呼ばれた一族が、鎌倉期頃一時逃れて住んでいたためとされている。

 人口380名、98戸はほぼ農家で結束力が高い。殆どの家が屋号を持っている。

 横岡神明社にある巨木「シナの木」は、象潟町の天然記念物に指定されている。

 集落へ入る道沿い4ヶ所「大下(下村)・中ノ下・殿村中屋敷・寺地」に祀ってある「サエ(塞)の神」(=道祖神)は、悪魔の侵入を塞ぎ、集落の境を見守っている

 上郷の小正月行事「サエの神」は、

平成11年国指定重要無形民俗文化財に指定された。

 「地元を懐かしんで参加したのよ」と言う御年83歳の畑澤好夫さんは、地元ツアーには積極的に参加しているという。知っている場所に着く度、たくさんの知識・想い出話が溢れ出し、何とも楽しげ。貴重な地元の資料をいただき、ありがとうございました。)

 横岡自治会館にて休憩。

 お茶と、集落のお母さん方が作った笹巻きをごちそうになった。笹巻きは、ここでは“竹の子巻き”という。正三角形のものは“ゲンコツ巻き”という。

 ちそうになった笹巻き。鳥海町のそれと似ていて縦長だが、仕上げの蓋となる部分の形が微妙に違う。

 笹巻きは、集落ごとに特徴が違っていて、本当に面白い。

●「鳥海山伝承芸能祭」(にかほ市誕生5周年記念・「鳥海山」国史跡指定記念事業)

 金峰神社の敷地内に特設会場を設置し、にかほ市誕生5周年記念・「鳥海山」国史跡指定記念事業として「鳥海山伝承芸能祭」が行われた。

 全国的にも珍しい延年舞いとして残っている「チョウクライロ舞」はその昔(明治以前)、修験者が舞ったとされる。普段は金峰神社境内にて執り行なわれる「チョウクライロ舞」が、今回特別に競演会場にて披露された。

 神事および御宝頭の様子。

 雨にもかかわらず、珍しい舞を一目見ようと集った沢山の見物客。 

 九舎之舞(くしゃのまい)。狩衣(かりぎぬ)姿の2人が蘭陵王(らんりょうおう)、納曽利(のそり)の面を付けて舞う。

 「チョウクライロ」の名のルーツとも言われている「蘭陵王」は、中国古代の英雄。戦場で敵を驚かすため、わざと恐ろしげな面を被って出陣した。

 現在では、五穀豊穣を願う舞いとされている。

 納曽利は、番舞(つがいまい)の関係にある舞曲で、平安時代には競馬や相撲などの節会で演奏、舞われていた。左右に分かれて競う競技などでは、右方が勝つと納曾利が舞われ、左方が勝つと唐楽の「蘭陵王」が舞われたという。

※番舞とは、左方(唐楽)、右方(高麗楽)の舞曲を組み合わせ一番(ひとつがい)にしたものを言う。

 荒金之舞(あらがねのまい)。四隅の結界の縄を切り落とすことで、悪鬼の無い、平和な世が来ることを願っているとされる。

 左に同じ、荒金之舞。なぎなたを手に、1人で舞う。

 小児之舞(しょうにのまい)。その昔は「稚児之舞(ちごのまい)」と呼んでおり、チョウクライロ舞いの代名詞となっている。

 左に同じ、小児之舞。花笠を被り、赤い紅を刺した6人の男児(昔は長男)らによって披露され、延命長寿を願っている。

 太平楽之舞(たいへいらくのまい)。武士の戦いの様子を、4人一組となった男児が、面を付けずに舞う。

 左に同じ、太平楽之舞。潔く刀を振るい、人倫を尊ぶ様子を表しているという。

 祖父祖母之舞(そふそぼのまい)。幾久しい夫婦の和合が、万物生成の根元であると教えてくれる。

 左に同じ、祖父祖母之舞。

 瓊矛之舞(ぬぼこのまい)。瓊矛とは、珠で飾られた矛のことで、日本神話に登場する「天沼矛(あまのぬぼこ)」のことである。

 左に同じ、瓊矛之舞。「天沼矛」の神話をから子孫繁栄、しいては国造りまでを願った舞いであると推測される。

 閻浮之舞(えんぶのまい)。「閻浮堤(えんぶだい)」とは、古代インド仏教の世界観の中で、「人間が住む大陸」のこと。

 左に同じ、閻浮之舞。ちなみに「南閻浮堤」と呼ばれる南に位置した大陸は、インドのことである。

 「南閻浮堤」と呼ばれる場所には、常緑の大木があり、四方には川が流れているという。

 四つあるという「四大洲」に向かって舞台を踏み、我国を治め、いずれ万国を豊潤幸福にするという意味が含まれている。

 花をもらったお客さん。花笠に飾った花や結界の縄などは持ち帰り、神前に供えると「無明息災」で暮らせるという。

 にかほ市の金浦番楽(このうらばんがく)。子どもたちが一生懸命。

 

 同じく、金浦番楽。力強い鉢捌きで観客を魅了する男衆。

 同じく、金浦番楽。小柄ながらダイナミックな太鼓演奏を聴かせてくれる女性。

 冬師番楽(とうじばんがく)は、本海流番楽の流れをくむ伝統芸能。にかほ市の、旧仁賀保町内3地区において、保存継承がなされている。

 左に同じ、冬師番楽。秋田県指定重要無形民俗文化財ともなっている。

 同じく、冬師番楽。

 同じく、冬師番楽。

 延年の舞いと言われている「チョウクライロ舞」の起源は、次のような伝説によるものとされている。

 

 849(嘉祥2)年頃、鳥海山に住む手長足長という悪鬼に人々が苦しめられており、鳥海山大権現が3羽の鳥を使い「鬼のいるときは有那(うむ)、いないときは無那(なむ)と鳴かせ人々に知らせた(鳥は、近年まで「神の使い」とされていたと聞いて、この日、鶏肉を食べる気がしなかった人も多いかも知れない)。

 859(天安元)年、文徳天皇の勅命を受け慈覚大師が、鳥海山大権現と小滝の蔵王権現に護摩密法を修業・祈願して、37日間法力で退治。蔵王権現社頭にあったアララギの大木で、1丈6尺の観音像と21社の山王権現を彫刻安置し、奉納した。神恩に感謝する為、53段の石段と土舞台を築き、陵王・納曽利の面を作り厭舞(えんまい)を奏して八講祭を執り行なった。これが「チョウクライロ舞」の原形。


 古文書では、「祭法式之舞」もしくは「祭典法式之舞」と書かれ、明治以降~昭和10年代かけ、始めて「長久呂花笠舞」の記述がみられる。今日のチョウクライロの呼び方は、この「稚児之舞(花笠舞)」の唱文からきていると推測される。

 

 ※「小滝のチョウクライロ舞」は通常、明治2年、鳥海・熊野・神明の三社の合祀によって名前を改めた「金峰(きんぽう)神社」で舞われる。「金峰神社」は、小滝の蔵王(ざおう)社で慈覚(じかく)大師の開創と伝えられ、蔵王権現として祀られていた。

  

◆近年の延年チョウクライロ舞についての記述は、こちらにもあります。

  http://www.akita-gt.org/study/bunka/ennen.html

 

★おまけ①★

 降りしきる雨も話の種に、参加者らを楽しませるガイドの金澤美津子さん。「どのバスかわからなくなったら、フロントガラスに置いているスギッチが目印です~!」

★おまけ②★

 

 土田牧場にて、試食品(レアチーズ)を配る、中央観光社の西村さん。

 スタッフの方々の、地道な裏方作業の結晶も、楽しい旅行の時間を作り上げる。

 古くから、「金峰神社以外でチョウクライロを舞うと、雨が降る」という言い伝えがあり、本日まさにそのとおりとなったが、おかげでこうして私たち観客は見ることができた。

 鳥海山伝承芸能祭実行委員会の吉川栄一さんは、「雨でも、この空気を知ってもらいたくて、開催した。伝統芸能は、ゴールの無い駅伝文化だ。いま、我々にタスキがかかっている。身の引き締まる想いだ」と語っていた。

 まさに、地域の文化を絶やすまいという熱意で継承し続けている人がいる。

 伝統芸能に限らず、「集落以外門外不出」とは、脈々とその集落のしきたりや習わしを伝えていくには厳密で良い面もある。

 しかしこの現代、今この瞬間にも多くの地域の財産が失われていっていることを考慮すると、公にすることで集落の財産が守られていく場合もあるのではないか。

 もしくは外部より人を入れていくことで、新しい発見や継承の糸口が見えてくる可能性もある・・・そんなことを考えさせられた一日だった。

 「ひとつの集落の文化」と割り切ることなく、見聞きしたことをこうして少しでも残していくことが、私たちの使命なのだと信じて。 

県央地区現地特派員 よどぎみ。