はる!新緑の棚田で田植えツアー
~世界遺産「白神山地」の麓・横倉集落で~
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澄んだ空気と冷涼な気候が広がる世界遺産・白神山地の麓、秋田県山本郡藤里町。 きれいな湧き水の恵みを受けた棚田が今日まで守られてきている風光明媚な地区・横倉で、この棚田を維持し続け、景観を保全していくためのサポーター育成を目指す「棚田オーナー募集ツアー」が始まった。 横倉地区は、今年度秋田県が制定した「棚田オーナー制度」のモデル地区に選ばれ、事業の受諾団体として選ばれたのは、当協議会会員であり白神の自然体験活動を通してグリーン・ツーリズム活動に取り組む「白神ぶなっこ教室」。棚田オーナーは秋田県や藤里町と連携し、市川博之さん所有の田畑にて年3回(春・夏・秋)の作業体験などを行いながら、地域住民や関係者らとともに棚田の保全・地域住民との交流を図ることになった。 |
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◆棚田オーナーによる田植え | |
「棚田オーナー募集ツアー」1回目となった6月4日は、募集にて集まった棚田オーナーらが、率先して田植え体験をし、親睦を深めた。 | |
「白神ぶなっこ教室」にてメンバー紹介・顔合せ。 |
横倉の地に降り立つ棚田オーナーら。 |
横倉集落の方々。左は、「白神ぶなっこ教室」の佐尾和子さん。その隣りが、地主の市川博之さん。 |
カタをつけていく。 |
カタの十字になった部分に、順番に植えていく。 |
植え残しがないように、横並びに植えていく。 |
子どもの田植え。 |
若者の田植え。「苗くれ~!」 |
大人の田植え。 |
泥だらけも、何のその! |
市川博之さん。 |
市川さん所有の横倉の棚田。 |
海抜210メートルの棚田は、下界とは2℃程気温の差がある。水は冷たく、灌漑用水という点から見れば本来田畑に向かないだろう。「そうまでしても先祖はここで農業がしたかったんだな」博之さんは遠い先祖に想いを馳せるような眼差しで遠くを見つめた。 しかし収量は少ないものの、その冷涼さゆえ虫がつきにくく、結果的に低農薬が実現している。博之さんの先祖はこの横倉地区に価値を見出だし、営農可能な場所と判断したことに間違いはなかった。
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市 川 さ ん の お 宅 に て 昼 食 |
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昼休み。小雨がパラついてきた。 |
市川さんのお宅にて、昼食をいただくことになった。 |
昼食用にと、炭火で岩魚を焼いてくれた。 |
岩魚。 |
市川さんのお宅にて。昼食の前に、稲株とお神酒を供えた神棚に、二礼二拍一礼をする市川さん。参加者も彼に習って礼拝。
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昼食風景。藤里町に伝わる、真心のこもった家庭料理が、ところ狭しと並べられた。
ワラビの漬物。 ゼンマイの煮つけ。
おにぎり。 心づくしの郷土料理。 |
「今は、食べる物に困らないという点で見ると、非常に良い時代」と、博之さん。「昔は、食べれるものは何でも採って食べた。採った山菜等は、何十キロも先の町へ降りて行って売り、米・塩・味噌に代えた。冬は塩漬けハタハタですら楽しみで、春のニシンにいたっては、ご馳走だった。そのハタハタは、この清流(湧水)に浸けておけば、しばらくは保ったもんだ。今で言う賞味期限だのではない。人々が、我が身を持って判断した正確な消費期限だ。」
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現在ですら2メートル以上の積雪量を記録する雪深い地。冬は保存食のみで生き繋いだのだという。 横倉地区より少し上がった高台にはサケやサクラマスなどのふ化場があり、3月末までには米代川をはじめとした各河川に放流している。「白神ぶなっこ教室」の「雪の学校」でも、子どもたちに峨瓏(がろう)の滝にて放流体験をさせているそうだ。 先人が待ち望んだ、川と海とを繋ぐ架け橋が、清涼なる水の恩恵によって生きている。 |
市川氏邸の中庭には、菅江真澄翁にまつわる歌碑があった。碑には「ももとせの 齢もちかき老の身の 花に楽しく めくるさかつき」とある。 ※かつて横倉地区より更に白神山地にほど近い場所に、700年以上の歴史を持つとされる太良(だいら)鉱山(1958年閉山)があった。菅江真澄が地元の「加茂谷久兵ェ」の案内によりここに立ち寄ったという記録がある(真澄全集を参照)。 「真澄がみちのく言葉にくつろいでいると、老婆がやってきて酒をすすめ、90歳という歳にも、ちょうど咲いた桜を見て“ひとつひかへてその影見れば、こがね花やら豊にさく”と唄った」楽しいひと時を過ごしたことがうかがえる。 ※藤里町誌(昭和50年8月発行)による |
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横 倉 周 辺 を 散 策 |
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午後からの散策タイムでは、横倉地区、さらにその上の水無地区に足を延ばしての散策タイムとなった。 |
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タニウツギ。地元では「ガジャ」と言っていた。 |
蕗の葉をカサ代わりに。 |
藤琴川に架かる「坊中橋」。景観に配慮したトラス橋は、山並みをイメージした形となっている。 |
こちらは、横倉集落に入って間もなく渡る横倉橋。昔ながらの石橋は、重厚だった時代を感じさせる。 |
体験田から坂を少し登ったところに、市川サツさんが栽培するワサビ畑がある。このワサビは12月頃、東京の料亭などに年間約1000本出荷している高級品である。 |
本山葵(ワサビ)の生育には、きれいな水が必須条件。一反歩(約300坪)に3棟あるハウス内で、山から湧き出る清らかな水と適正な管理によって丁寧に栽培されている。 |
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直売所「白神街道ふじさと」にも500本ほど卸しているそうなので、気になる人はこちらへ。 「白神街道ふじさと」 TEL・FAX:0185-71-4114 藤里町矢坂字上野蟹子沢85番地6 時 間 3~10月(9:00~18:00) 11~2月(9:00~17:00)
クレソン収穫もさせていただいた。 |
市 川 善 吉 さ ん の お 話 |
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散策途中、またもや雨に見舞われたため、送迎バスでの移動となったが、自然観察指導員・白神山地ガイドである市川善吉さんのお話を聞く機会に恵まれた。 |
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「ブナの木の元には、たくさんの山菜やキノコがなった。自分は小さい頃から、それらを来年以降にも残すための“採り方”を親父から学んだ。水の蓄えが豊富なブナの木は、いたましい木だから、切ってはいけないんだとか、親父から教わったことは多く、実際の生活の糧としてきた」。…かつて横倉の棚田を経て山に入り、上へと登って行くと、水無沼がある。「この沼の周りにあった自然の枯れ竹は、松明に良いとされ地域の営林署からそれらを3万本以上も杉焼きし、太良鉱山に納めるよう言われた。そして、その後また杉を植えた。今ある杉は、その頃植えられたものだ(一部分、天然杉)」 当時は、鉱山と林業が藤琴村(藤里町になる以前の旧村のうちのひとつ)の経済を支えていた。 「そして電気と電話が通ったら、人びとは一斉に下に降りていってしまった。集落再建移転、時代の必然性ではあろうが、残念なことだ」。そして、なおもこう続ける。「ここにも熊マタギ(鉄砲撃ち)はいた。特に12月のひと月は、熊・アオシカ(カモシカ)・ウサギが美味しかった。オッチョ(キジなどの山鳥を獲る仕掛け)やフククシ(野ウサギを獲る仕掛け)も、親父と山に入ってよくしたものだ」狩猟することが自由だった時代を、懐かしんでいる様子だった。 当時を知る人が少なくなってしまった現在、彼の人生がにじみ出る程の膨大な「山の知識」と経験は、「白神山地ガイド」にとどまらず、貴重な地域の宝となっている。 |
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30年程前、水無沼の更に奥に99歳まで生き抜いた女性が一人で住んでいたという。女性はこの地に来た旅人を泊め、この沼で捕れた魚で、もてなしたのだという(善吉さんもその頃のことをよく覚えているらしい)。 咄嗟に沼のその奥が見たくなり、興味の惹かれるまま途中まで車を走らせたが、住む人のいなくなった集落は深い茂みに覆われ、イビツな道路は雨による冠水のため途中が寸断されており、雨上がりの道は霞がかってあまりに危険と思い、残念ながらこの日は冒険を中止することに。 今度は、山を知る男・善吉さんの案内で必ず行こうと思う。それまでは、地域に伝わる竹細工のザルを見て、当時を想像するに留めよう。 |
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散策を終え、ふたたび「白神ぶなっこ教室」にて集う。各々体験の感想や、昼食への感謝、藤里という地への想いなどを語り合った。 なお、先の大震災による東北の元気回復プロジェクト、「ニッポンの笑顔秋田から!」の説明後、「笑顔いっぱい運動」におけるイラスト(自分の笑顔)を描く時間も設けられた。 |
真心のこもった郷土料理(昼食)を作ってくださった、地元のお母さんたち。「今後は、ここ(白神ぶなっこ教室)で料理教室なども開催してほしい」という声が、女性の参加者から数多く挙がった。 古くからの歴史を紡ぐお父さん方、家庭の味を後世に繋いでいくお母さん方。藤里には、そうした頑なながらも温かい、人情に満ちた人々がたくさんいる。 |
かつては横倉集落でも8軒程の家があり、子どもも多く大家族であったそうだが、それを物語るものは殆ど残っていない。時代の流れでほとんどの人がここを離れてしまった。しかし、確実に残った人がいるから、今日のこの日がある。昔からの棚田を維持・管理し、景観を守りながら地域外の人々との交流を積極的に行っている。 提灯に火を灯し、カンジキを履いてその家へと向かう旅人を連想した時、当時の人々が育んだ豊かな絆は、彼らにも脈々と繋がっているのだと感じた。 県央地区現地特派員 よどぎみ |
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