2010正月の風景
暖冬の予想とはうらはらに、年末から降り続いた大雪で明けた2010年。
県北の人たちはどんな新年を迎えたのでしょう。その様子をちょっとだけご紹介します。
1日午前0時30分
【能代市常盤】 除夜の鐘で煩悩を払う
今年の1月1日 除夜の鐘を打った。
場所は、能代市常盤の曹洞宗寺院・玉鳳院。400年以上の歴史をもつ寺である。
本堂の手前に建つ津軽ヒバ製の真新しい鐘楼には、直径90cm重さおよそ1トンの釣り鐘が下がっている。
昨年10月、檀家に寄付を呼び掛けて開山以来はじめて釣り鐘を設けた。
鐘楼の前では、寺の次男である柳川浩元さんが鼻を真っ赤にしながら、
寒空の下で参拝客を丁寧に出迎えていた。
大学4年生の今年、正月で帰省しているという。
31日の午後11時30分から立ち続けているそうだ。
「こんばんは」と声をかけると、「ひとつお取り下さい。」と桐の箱を開ける。
中には色とりどりの香り袋。参拝者に配っているそうだ。
わたしは、ピンクの香り袋に手を伸ばし、思いがけない心遣いに、なんだかいい一年になりそうな予感。
鐘楼に近づいてまじまじと見ると、まだ新しい木の白肌と、そこに施された細やかな細工が美しい。
鐘はにび色に光っていて、冷たい空気に引きしめられるのか、より一層の重厚感を漂わせているように感じる。
月明りの少ない夜であったので、周囲は寺の用意した照明で照らされていた。
「これは一回つけばいいのですか?」と質問すると、浩元さんが寒さに震えながら「はい。」と答える。
後ろに大きく身体ごとひく。
重力で投げ出されそうになるのをぐっと我慢し、「えいっ」と心の中で気合いをいれ、つく。
ごーんともどーんとも聞こえる大きな音にただただ呆然と立ち尽くし、
そして、凍える足元からじわっと感動が胸まで上がってくるのを感じた。
私が訪れた時点で、参拝客は50人あまり。
帰り際にも数人訪れたから、途切れなく人数は増えていっただろう。
耳に残る鐘の音にわたしの煩悩とは何だろうかと考え、
思いつかないので、すっかり払われただろうと勝手に合点し家路につく。
新年早々、若いイケメン男子とのささやかな出会いに感謝。
1日午前10時
【大館市田代】 代野番楽に酔う
1日 午前10時
大館市田代の代野稲荷神社で番楽が奉納されるとのことで伺う。
見物人は、地元の住人のほか、取材に訪れた地元新聞記者などおよそ20人。
地元の女性が大きな鍋いっぱいに甘酒を用意して、わたしたちを出迎えてくれた。
■番楽に込められた想い
大館市田代(旧田代町)代野地区は、
1616年、今からおよそ400年前に、新田開発で生まれた集落である。
しかし、凶作や悪疫により廃村。およそ100年後に再び村が再興されたという歴史をもつ。
そのため、代野番楽は病魔・悪霊を払い、住民の無病息災、五穀豊穣を祈り、
村の発展を願うという想いが込められている。
■武士舞と滑稽舞
番楽を担う連中は4人。うち踊り手は2人で、中にはお囃子と踊り2つを担う人もいるようだ。
小さな集落らしく、地元の男衆が大切に大切に受け継いできたことがうかがえる。
勇壮な武士舞が中心で、寒さの中、薄い着物姿で白い息を吐きながら、
三尺の大太刀を振り回したり、二者が棒を交わらせ舞台狭しと立ちまわる姿に、
自然と拍手が起こる。
また、滑稽舞の「恵比須舞」では、恵比須がわざとタイを落とし、
取材記者にとらせ、褒美に懐から餅を出して渡す場面では、見物人からも笑いがこぼれていた。
会場を巻き込んだ演出に、冷えた身体もほっと一息和むようだった。
ちなみに、この餅はつきたてだったようで、とても柔らかく、
正月の朝に女性たちが一つ一つ丁寧に丸め袋に入れたのだと考えると、
伝統を守り続ける地域の結束が伝わってきた。
■これから
代野集落会長の佐藤新正さんは、
「ここにはこの番楽があるから。これでみんなが一年元気で過ごすことができればね。」と
番楽への誇りと込める願いをお話してくれた。
佐藤さんたちは、小学校で番楽を教え、“代野番楽”を後世に伝えて行く活動を続けている。
【参考文献】
『秋田県の祭り・行事―秋田県祭り・行事調査報告書―』(秋田県教育委員会)
『秋田県の民族芸能―秋田県民俗芸能緊急調査報告書―』(秋田県教育委員会)
2日午前11時
【北秋田市綴子】
綴子大太鼓叩き初め
綴子大太鼓の叩き初めは、一年の安全と地域の繁栄を願い、毎年1月2日に行われている。
会場である「大太鼓の館」には、見上げるほど大きな大太鼓が4基並び、うち一つはギネス記録保持。
てっぺんにまたがる男衆が本当小さく見える。
大太鼓を叩いておよそ40年という下町自治会長の藤島勝政さんは、
「年末から降り続く雪でみんな疲れていて、あまり勢いはなかったかもしれない。
急きょ来れなくなってしまった人もいるから。」と今年の叩き初めについて率直な感想をお話してくれた。
今では全国に名前が知られる綴子の大太鼓。
この、直径4m弱の大太鼓数基が集落内を練り歩く「綴子神社例大祭」は、
1262年、およそ750年前に始まったとされている。
毎年7月14日と15日に行われ、田植え後の雨乞いや虫追い、
秋の豊作を願って打ち鳴らされる大太鼓。
その響きからは、きっと天も味方してくれるだろうと思わせる荘厳さが漂い、
地元住民だけでなく、訪れる多くの観光客をも魅了している。
しかし、藤島さんは言う。「全国からお客さんが来て、
盛大に観光として成功させるという気持ちはあまりないんです。
それよりも自分たちは自分たちのできる精一杯のことをして、
小さな集落のために太鼓を打ち鳴らすだけ。
お祭りの成功はそのあとについてくるものですから。」
祭りの規模が大きくとも小さくとも、その根幹は、
地域の人がこの一年幸せに暮らせますように、という願い。
それは、遠く離れた家にまで届く、寺の鐘の音に込められた想いも同じ。
こういう想いが、地域の伝統や文化を守り伝えていくのだろうし、
後継者不足で消えかかっている各地の小さな祭りも、
地域住民と行政とが協力し合って残していってほしいと心から願う。
県北担当 やっつ
2010年1月26日17:15 | 県北情報 | Trackbacks (0)