今もなお、鮮明に記憶に残る東日本大震災から半年が過ぎました。
大震災が残した傷跡は、誰にとっても そう簡単に癒えるものではありません。
しかし、私たちの気持ちを重く暗く覆った震災の中で、
見えてくる人の思いやりや優しさを感じることがきっとあったはず。
グリーン・ツーリズム西木研究会と、被災した石巻の皆さんとの交流も早半年になりました。
石巻市から被災者である千葉さんご家族が西木町・農家民宿泰山堂を訪れました。
宮城県立水産高校に避難し、そこでリーダー役を務めた千葉さんご夫婦。
「誰かのために何かしたい」と西木研究会の皆さんが、本協議会賛助会員である
泉谷衆さんを通して水産高という避難所に出会い、野菜やおでん、おはぎといった
料理で支援を続けたことがこの交流の始まりだそうです。
「助けてもらったときに、『必ず西木町に行くから』と(泰山堂の)藤井さんと約束したんです。
西木の皆さんは、片道5時間もかけて石巻に来てくれただけでなく、度々
『体は大丈夫か?』『何か欲しいものはないですか?』と電話をくれました。
それも本当に嬉しかった」とご夫婦が話してくれました。
泰山堂の囲炉裏を囲み、お膳でいただく料理を堪能しながらも、震災の際の話は続きます。
「皆さんが納豆を後から送ってくれたでしょう?あの日、初めて避難所で温かいご飯が出たんです。
それまでは冷たいご飯やパンしか出なかったから、あれがご馳走でした。
おはぎも送ってもらいましたね、お年寄りがすごく喜んだのでいっぱい食べさせました」
おはぎや焼き餅といった、西木町のお母さんやおばあちゃんが得意とする自慢の郷土料理。
西木研究会メンバーの皆さんが再会を喜び、この日のために手作りして集まりました。
ちょっぴりの涙の場面。でも、たくさんの笑顔を見ることができた夕ご飯。
(前列左から:一の重 佐藤郁子さん、里の灯 佐藤由井さん、のどか 高橋佳子さん、千葉さんご家族
後列左から:泰山堂 藤井けい子さん、賛助会員 泉谷衆さん、泰山堂 藤井直市さん、千葉さんご家族)
千葉さんが一冊の写真集を差し出しました。被災した石巻の写真集です。
秋田に住む私たちに浮かんだ、ある一つの素朴な疑問…。
「この写真集を持っていて辛くなりませんか?」
すると
「震災直後は『がんばって』という言葉にすごく抵抗がありました。
これ以上何をどう頑張ればいいんだ?って。
でも、ようやく最近になってその言葉を受け入れられるようになりました。
いつか私たちの町が復興できたとき、この写真を見たいんです。
私たちはこんなに頑張ったんだって思いたい」と。
「今度は石巻に支援ではなく、遊びにきてください」
遠く離れた地で全くの他人であった農家のお母さんたちと石巻のある家族。
今後もこのご縁、お互いに思い合う気持ちが途切れることはないでしょう。
感謝の言葉が繰り返される中で、心の繋がりを見ました。
県南担当 けこさん
2011年9月21日18:00 | 県南情報 | Trackbacks (0)