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2010年1月 のアーカイブ

鹿角市 癒しの学びや「中滝ふるさと学舎」


今年の春、鹿角市の山奥に新しい学校が開校します。
仕事も人間関係も恋愛も、一生懸命はいいけれど、ちょっと疲れたらここに来てみませんか。
心と身体を癒す学校。それが「中滝ふるさと学舎」です。

校舎を地域の拠点に
場所は、十和田湖の入り口、鹿角市大湯中滝地区。
昨年3月、みなに惜しまれつつ閉校した、旧大湯小学校田代分校中滝校舎である。

鹿角市大湯中滝地区は、鹿角市が勧める森林セラピーの中滝ロード内に位置している。
周辺には、地名にもなっている「中滝」のほか、いくつもの滝があり、散策路も整備されている。
市では、カフェやギャラリー、宿泊施設などを設け、ここを森林セラピーや滝めぐりなどの拠点として活用、
県内外の観光客や地域住民の憩いの場所にしたいと考えている。

「NPO法人かづのふるさと学舎」の設立

「NPO法人かづのふるさと学舎」代表湯瀬政弘さん
湯瀬さんは、大湯温泉街で電気店を営みながら、滝めぐりの会の会長などを務めるなど、
これまでも大湯地区の活性化に尽力してきた。
この地区の人で湯瀬さんを知らない人はいない。
電化製品を買う時や修理を頼む時、湯瀬さんのお店に電話をする。
湯瀬さんは街を支える「みんなの街の電気屋さん」でもある。
廃校が決まったその校舎を、何かの形で利活用できないかと考えた、
鹿角市役所観光交流課の加藤卓さんから、湯瀬さんへNPO設立の話が持ちかけられたのは、
今から1~2年ほど前のこと。
校舎の改築、利活用の構想、土地の整備などスタート地点までは市で管理、
加藤さんは、開校後の運営を任せられる人材と組織を求めていた。
また、湯瀬さんにとっては、滝めぐりなど、観光の拠点施設が持てることや
学舎を目的にやって来る人が、滝めぐりに参加してくれるなどの相乗効果を期待。
双方の思惑が合致して、昨年11月にNPOが正式に誕生した。


「山に行かないと落ちつかない。」という湯瀬さんにとって、
大湯の森はすでに身体の一部、心の一部になっている。
大好きな大湯の自然と滝を、多くの人に感じてもらいたい。
それが、湯瀬さんの願いだ。

「命」を感じる体験を

「中滝ふるさと学舎」のオープンにむけて湯瀬さんたちNPOメンバーは体験メニューの考案を進めている。
どんな体験を組み合わせたら、ここオリジナルの体験メニューを提供できるのか。
テーマは決めている。
それは、「命」を感じられるもの。
「当たり前ではないことをしたいんです。ここは酪農が盛んだから、
牛の乳しぼりとか家畜の出産に立ち会ったり手伝ったり。
あえて家畜のと殺なんかを体験させて、命の大切さを感じてもらう体験もどうかと考えています。
ここでの体験が、子どもたちの将来に役立つものになって欲しいんです。」
 
また、子どもだけではなく、社会で働く大人に向けたプログラムも構想している。
ターゲットは都会の企業で働く人たち。
「都会の人たちは、仕事をしていないと不安で、休みを取らないそうなんです。
だったら、休みながら働けばいい。わたしたちと企業が連携して、心の休養が必要な人には、
ここにパソコンを持ってきて仕事をしてもらう。1人でもいいし、家族で来たっていい。
ロッジに泊まって、1週間でも2週間でもここで仕事をして、
心身ともにリラックスしてもらうようなことを考えています。」
ぜひ実現したい、と目を輝かせた。
昨年末には、スタッフを3人地元から雇用。準備は着々と進んでいる。

地域の心のよりどころ「中滝小」

昨年11月下旬、NPOメンバーによる現地視察が行われた。
校舎の改築工事は、昨年秋に着工。本格的な雪になる前に、外の作業を終わらせようと、
この時には新設するロッジやテラスの建設が急ピッチで進められていた。

 
かつてのグラウンドにはショベルカーやトラックが入り、雨でぬかるんだ土を掘り上げていた。
遠くからその様子を眺めていると、一人の男性が「子供がたの植樹した木、ねんでねぇが」と
独り言ともとれるつぶやきをわたしに向けた。かつてグラウンドの一角に植えた、
卒業記念植樹の桜の木のことであるという。男性は足早にわたしの前を通り過ぎ、仲間の輪に加わった。
大湯のこの地は、開拓の地である。昭和30年代、全国各地から、若者が農地を求めてこの地へやってきた。
話を聞くと新潟出身だという男性が、今年で82歳。60年余りを中滝で過ごしてきた。
かつては酪農を営んでいたが、年をとり、跡取りもなく家業をたたんだ。それでも60年生きた土地。
夢を抱いてこの地にやってきた男性にとって、小学校には、子供を育て通わせた想い出が残る。

 
「私がここに来た時は、中滝には小学校がなかったのです。
発電所に勤める人の子供たちのための止滝分校に、一緒にお世話になっていました。
中滝に小学校ができたのはそのあと。もちろん田代の冬季分校ができたのはそのもっとあとです。
ここでは、学校の運動会に地域総出で参加します。もう子供たちだけの楽しみではありません。
大人も一緒になって走ります。そして、終わったら、体育館にみんなで集まって餅を食べます。
餅を食べるためだけに参加していた人もいたのではないかな。
廃校が増える中でこうして校舎を残すのはいいことだと思いますよ。
校舎は凝った造りではないし、ごくごく普通ですが、それがいいのです。」

昔を少しずつ思い出しながら、ぽつりぽつりと口にした。
校舎の中は、今にも子供たちの声が聞こえてきそうなほど穏やかで、暖かい空気があふれていた。
決して寂しさは漂っていない。淡い緑色の柱と白い壁。裏手に流れる大湯川と豊かな森、
そして空の青とそこに浮かぶ雲の色が混ざり合い一つになったかのような、そんな淡い緑だった。

 
校庭に面してまっすぐにのびる廊下は、大人が二人すれ違うにはちょっと狭く、
小学校とはこんなにも小さかったか、と自分の幼いころの姿を思い浮かべてみる。
窓から優しい光が差し込んでいた。
廊下の一番奥からピアノの音が聞こえる。誰かが懐かしさで鍵盤を叩いたのだろう。
白木のふたがついた珍しいヤマハのアップライトピアノ。
「ずっと昔からこれだったんではないかな。ずっとこれだけ。」
これまで、何百人の子供の歌声に合わせて音を奏でてきたのだろうか。
一旦閉じられたふたがもう一度開けられる日を、校舎の奥でじっと待っているかのようだった。


学校の水道とプールには、近くの湧水がパイプ伝いに引かれているという。
温泉とも違う暖かい湧水。温泉地ならではの水の恵みを、だれも贅沢だとは感じていない。
当たり前にそこにあるものなのだろう。

今年4月 開校

構想からおよそ3年。「中滝ふるさと学舎」もまもなく開校を迎える。
計画の立ち上げから関わってきた鹿角市役所の加藤さんは、
「全国にも廃校を利用した施設はいっぱいありますが、ここ(鹿角)には森林セラピーがある。
だから、ここは、ただの美術館やレストラン、宿泊施設とは違う、
“癒し”を提供できる場にしたいんです。
何にもしないで、ただ一日校舎でゆっくりしてもいいんです。
編み物や料理をしたっていいし、小さな椅子を持って森に散策に行ったっていい。
散歩の途中に昼寝をしに寄ってもいいんです。
だからカフェのメニューも、きりたんぽとかじゃなくて、
ヘルシーでナチュラルなものを考えています。
東京や関東の人は難しいかもしれないけれど、近隣の人、とくに若い人に来てほしい。
若い人が田舎暮らしを見直している今がチャンスだと思うんです。」
と話す。
キーワードはあくまでも“癒し”

どんな学校になってほしいのかと尋ねると、
「こんなこと、言ってはいけないのかもしれないけれど、
好きな人だけ集まってくれればいいと思うんです。
もちろん運営を考えたらそうは言っていられないけれど、
でもこのように静かで落ち着く場所だから、あまり騒がしくはしたくないんです。」

みんなが愛したこの学校を、慈しみ守ってきたこの校舎を、
この土地を好きになってくれる人に集まってほしい。
いったんは本来の役割を失った校舎が、地元の人々の手によって再び息を吹き返そうとしている。
車の中で、加藤さんが、学舎のイメージに今話題の「森ガール」を考えている、と教えてくれた。
深い緑の森と豊かな川に包まれていると、
今にもあの木の陰から、かわいらしいおしゃれな女の子が姿を現すんじゃないかと思ってしまう。
そんな雰囲気さえも漂う大湯中滝の森。
そのうち、雑誌の撮影がここで行われたり、「森ガールの集い」なんかが開かれちゃうかも。

オープンは今年4月の予定。
春の便りとともに、鹿角の山奥で、本当の「癒しの空間」が誕生します。
                                県北担当 やっつ

| 2010年1月28日00:24 | 県北情報 | Trackbacks (0)

今年も一年いい年になりますように。

       2010正月の風景 
暖冬の予想とはうらはらに、年末から降り続いた大雪で明けた2010年。
県北の人たちはどんな新年を迎えたのでしょう。その様子をちょっとだけご紹介します。

1日午前0時30分
【能代市常盤】 除夜の鐘で煩悩を払う

今年の1月1日 除夜の鐘を打った。
場所は、能代市常盤の曹洞宗寺院・玉鳳院。400年以上の歴史をもつ寺である。
本堂の手前に建つ津軽ヒバ製の真新しい鐘楼には、直径90cm重さおよそ1トンの釣り鐘が下がっている。
昨年10月、檀家に寄付を呼び掛けて開山以来はじめて釣り鐘を設けた。
鐘楼の前では、寺の次男である柳川浩元さんが鼻を真っ赤にしながら、
寒空の下で参拝客を丁寧に出迎えていた。
大学4年生の今年、正月で帰省しているという。
31日の午後11時30分から立ち続けているそうだ。
「こんばんは」と声をかけると、「ひとつお取り下さい。」と桐の箱を開ける。
中には色とりどりの香り袋。参拝者に配っているそうだ。
わたしは、ピンクの香り袋に手を伸ばし、思いがけない心遣いに、なんだかいい一年になりそうな予感。
鐘楼に近づいてまじまじと見ると、まだ新しい木の白肌と、そこに施された細やかな細工が美しい。
鐘はにび色に光っていて、冷たい空気に引きしめられるのか、より一層の重厚感を漂わせているように感じる。
月明りの少ない夜であったので、周囲は寺の用意した照明で照らされていた。
「これは一回つけばいいのですか?」と質問すると、浩元さんが寒さに震えながら「はい。」と答える。
後ろに大きく身体ごとひく。
重力で投げ出されそうになるのをぐっと我慢し、「えいっ」と心の中で気合いをいれ、つく。
ごーんともどーんとも聞こえる大きな音にただただ呆然と立ち尽くし、
そして、凍える足元からじわっと感動が胸まで上がってくるのを感じた。
私が訪れた時点で、参拝客は50人あまり。
帰り際にも数人訪れたから、途切れなく人数は増えていっただろう。
耳に残る鐘の音にわたしの煩悩とは何だろうかと考え、
思いつかないので、すっかり払われただろうと勝手に合点し家路につく。
新年早々、若いイケメン男子とのささやかな出会いに感謝。

1日午前10時


【大館市田代】 代野番楽に酔う
1日 午前10時
大館市田代の代野稲荷神社で番楽が奉納されるとのことで伺う。


見物人は、地元の住人のほか、取材に訪れた地元新聞記者などおよそ20人。
地元の女性が大きな鍋いっぱいに甘酒を用意して、わたしたちを出迎えてくれた。

番楽に込められた想い
大館市田代(旧田代町)代野地区は、
1616年、今からおよそ400年前に、新田開発で生まれた集落である。
しかし、凶作や悪疫により廃村。およそ100年後に再び村が再興されたという歴史をもつ。

そのため、代野番楽は病魔・悪霊を払い、住民の無病息災、五穀豊穣を祈り、
村の発展を願うという想いが込められている。

武士舞と滑稽舞

 
番楽を担う連中は4人。うち踊り手は2人で、中にはお囃子と踊り2つを担う人もいるようだ。
小さな集落らしく、地元の男衆が大切に大切に受け継いできたことがうかがえる。
勇壮な武士舞が中心で、寒さの中、薄い着物姿で白い息を吐きながら、
三尺の大太刀を振り回したり、二者が棒を交わらせ舞台狭しと立ちまわる姿に、
自然と拍手が起こる。


また、滑稽舞の「恵比須舞」では、恵比須がわざとタイを落とし、
取材記者にとらせ、褒美に懐から餅を出して渡す場面では、見物人からも笑いがこぼれていた。
会場を巻き込んだ演出に、冷えた身体もほっと一息和むようだった。
ちなみに、この餅はつきたてだったようで、とても柔らかく、
正月の朝に女性たちが一つ一つ丁寧に丸め袋に入れたのだと考えると、
伝統を守り続ける地域の結束が伝わってきた。

これから


代野集落会長の佐藤新正さんは、
「ここにはこの番楽があるから。これでみんなが一年元気で過ごすことができればね。」
番楽への誇りと込める願いをお話してくれた。
佐藤さんたちは、小学校で番楽を教え、“代野番楽”を後世に伝えて行く活動を続けている。
【参考文献】
『秋田県の祭り・行事―秋田県祭り・行事調査報告書―』(秋田県教育委員会)
『秋田県の民族芸能―秋田県民俗芸能緊急調査報告書―』(秋田県教育委員会)

2日午前11時
【北秋田市綴子】 
     綴子大太鼓叩き初め

綴子大太鼓の叩き初めは、一年の安全と地域の繁栄を願い、毎年1月2日に行われている。
会場である「大太鼓の館」には、見上げるほど大きな大太鼓が4基並び、うち一つはギネス記録保持。
てっぺんにまたがる男衆が本当小さく見える。

 
大太鼓を叩いておよそ40年という下町自治会長の藤島勝政さんは、
「年末から降り続く雪でみんな疲れていて、あまり勢いはなかったかもしれない。
急きょ来れなくなってしまった人もいるから。」
と今年の叩き初めについて率直な感想をお話してくれた。
今では全国に名前が知られる綴子の大太鼓。
この、直径4m弱の大太鼓数基が集落内を練り歩く「綴子神社例大祭」は、
1262年、およそ750年前に始まったとされている。


毎年7月14日と15日に行われ、田植え後の雨乞いや虫追い、
秋の豊作を願って打ち鳴らされる大太鼓。
その響きからは、きっと天も味方してくれるだろうと思わせる荘厳さが漂い、
地元住民だけでなく、訪れる多くの観光客をも魅了している。
しかし、藤島さんは言う。「全国からお客さんが来て、
盛大に観光として成功させるという気持ちはあまりないんです。
それよりも自分たちは自分たちのできる精一杯のことをして、
小さな集落のために太鼓を打ち鳴らすだけ。
お祭りの成功はそのあとについてくるものですから。」


祭りの規模が大きくとも小さくとも、その根幹は、
地域の人がこの一年幸せに暮らせますように、という願い。
それは、遠く離れた家にまで届く、寺の鐘の音に込められた想いも同じ。
こういう想いが、地域の伝統や文化を守り伝えていくのだろうし、
後継者不足で消えかかっている各地の小さな祭りも、
地域住民と行政とが協力し合って残していってほしいと心から願う。
                               県北担当 やっつ

| 2010年1月26日17:15 | 県北情報 | Trackbacks (0)

朝市だけじゃない、風土が歴史の五城目町。

 新年明けましておめでとうございます。
 グリーン・ツーリズム推進協議会の現地特派員は、今年も県内の地域資源の情報発信に務めさせていただきます。
 「秋田花まるっ元気通信」共々、どうぞよろしくお願い申し上げます。
   ☆…::。。・;゜゜゜;・。。::…☆…::。。・;゜゜゜;・。。::…☆
 さて、皆様におかれましては年末年始、どのように過ごされましたか?私は「五城目の朝市」に出掛けて参りました。五城目の朝市は五百年以上もの歴史を持ち、農作業に必要な道具や農産物など、数々の生活用品が揃う流通 の拠点として江戸の昔より栄え、現在に至っています。
 12月31日は「ツメの市(歳の市)」ということで、年内最後の市。正月用品を買い揃える人達でさぞ賑わっているだろうと思い、勇んで出掛けたものの…通称「朝市通り」と呼ばれている五城目町下タ町通りの出店は20店と、年の瀬を迎えるにはちょっと少ない。盛況時には、約50店もの出店がある五城目の朝市…ありゃ、空振り?

   ☆…::。。・;゜゜゜;・。。::…☆…::。。・;゜゜゜;・。。::…☆

(さらに…)

| 2010年1月8日16:50 | 県央情報 | Trackbacks (0)

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