いま、能代市の市民プラザで、とある写真展が開かれています。
パネル6面に渡り展示されている能代市や五城目町、東京都の街路樹の写真。
この写真展を開いているのが能代市二ツ井で造園業を営む福岡徹さん(左)です。
↑ 左:写真展を開いている福岡徹さん。
右:電線に触るからと樹高を極端に下げられたイチョウ。福岡さんは景観としての街路樹の役割も大切と話す。
「子どもに言われたんです。どうしてあの木は腕がないの?って。
子どもは絵本の中でよく目にする、顔が合って枝(腕)を広げた姿こそが木だとイメージしている。
自分はこういう仕事をしているのに答えられなかった。」
子どもの指さす方向には四方八方の枝を無造作に落とされ、幹だけになってもなお“街路樹”として
立ち続ける木の姿がありました。
「街に落ちる葉は邪魔にされるけど、白神山地に落ちる葉は宝もの。白神山地の木も街路樹も同じ木なのに。」
街路樹が剪定される大きな理由は落ち葉の問題です。
秋、落ち葉となって庭先、玄関先に舞いこむ街路樹の葉はそこに住む人にとっては少し迷惑です。
高齢化も進み、住民にとっては落ち葉掃きや葉の片づけも簡単な作業ではありません。
福岡さんはそういった住民の声にきちんと耳を傾けた上で、
街路樹のあり方についてみんなで考えようと投げかけています。
「落ち葉を集める仕組みや活かし方を地域活動として進めていけかなければと思っています。
いま、能代市では集めた落ち葉を腐葉土にして再利用しているんだそうです。
それをもっとちゃんと住民に伝えればいい。
そうすれば落ち葉集めがただのゴミ拾いじゃなくて意味のあるものになる。」
↑ 左:交差点のプラタナス。
信号の支障になるための剪定だか、必要最低限の剪定でいいはず、と福岡さんは言う。
右:12月になっても青葉のままの秋田県能代市のプラタナスの木。
真夏の強剪定で次の季節までの栄養を蓄えるのが間に合わず紅葉できずにいるという。
福岡さんはこうした街路樹の現状を行政や市民に関心を持ってもらうため、
5年前から新聞や雑誌へ記事を投稿するなどの啓発活動を行ってきました。
「この5年でいろいろ勉強し発見もたくさんしています。
“美しい樹形”というのは人間の傲慢さ。もっと木のことを考えなければいけないんです。
ハサミひとつ、のこぎりひとつが木の生き方を決めてしまうんです。」
↑ 福岡さんが理想とする人と街路樹の在り方
(左:東京都神宮外苑のイチョウ並木、右:秋田県五城目町ケヤキの街路樹)
イチョウは、木が柔らかく、葉も分厚くて水分をたくさん含んでいるため防火樹の役割を持っているのだそうです。
かつて大火の多かった能代市で、イチョウが並木を作っているのにはちゃんと理由がある。
この写真展を通じ、これから街がどうなってほしいと考えていますかと聞くと、福岡さんはこう答えてくれました。
「木が木らしく生き生きとして、
木が木陰とかの街路樹としての役割をきちんと果たせるようになってくれればいい。
まだ間に合う。1歩進んだと思ったとたん5歩も10歩も下がっているような気がする時もあるけど、
誰かがやらないといけないことです。」
“木が木らしく生きる”。
当たり前のことのように聞こえるこの言葉も、実はそう簡単なことではないのかもしれません。
この写真展をきっかけにみなさんも身近な“自然”や“木”について、今一度一緒に考えてみませんか?
福岡さんの写真展は28日まで能代市 能代駅前の市民プラザで開かれています。
■福岡さんのブログ 「紅の葉の木陰」
県北担当やっつ
admin | 2010年12月22日17:42 | 県北情報 | Trackbacks (0)